「 次は溶解だ(中編)(後編) 」

 椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第7章 次は溶解だ(中編)メルト・ダウン・イズ・ネクスト」 を読んだ。 なんとも素晴らしき!というか、社会からのはみ出し者たちの、歴史を創る破天荒な人生 あるいは破滅譚が語られる。妖怪じみた初耳の人たち。 例えば二人の女性。

《 にもかかわず、いや、それゆえにと言うべきか、こうしたランチの存在は、薄暗く湿った部屋に 閉じ籠もり、孤絶した奇妙なセルフポートレイトを撮り続け、最後にはみずから命を断ったウッドマンが 持つ強靭な意志の力に、より根底において通じている。エネルギーを開放するときに両者の身体が向かう ベクトルは、たしかに対照的に見えもする。けれども、身体という人間が存在するための芯を不定形に 溶かし、いかなる対象にも憑依して同化させてしまうその旺盛な浸透力において、ふたりのふるまいは 実は、よく似ている。むろん、それが孤独な密室の中だけで行われたか、ニューヨークという街の ただなかで行われたかという違いはある。が、写真を媒介にした実体のないイメージにまつわる記号の 表層的な操作ではなく、生身のを肉体を楽器や写真へと投企(死への先駆的決意性=ハイデッガー) することで対象の意味さえ揺るがせてしまう暴力的な繊細さにおいて、リディア・ランチと フランチェスカ・ウッドマンは、間違いなく同じ時代の巨大な渦の中にいた。 》 315-316頁

 Lydia Lunch http://chikako.org/lydia.htm
 Francesca Woodman http://blog.livedoor.jp/talbot2011/archives/53601053.html

 「第8章 次は溶解だ(後編)メルト・ダウン・イズ・ネクスト」を読んだ。

《 従来の絵画や彫刻とは決定的に異なる新しい自分のアートを発見したマルコム・マクラーレンは 1974年、突如としてふたたびニューヨークに姿を表す。 》 336頁

《 まがりなりにも専門の教育を受け、一度は絵に手を染め、その延長線上にコンセプチュアル・ アートを手掛けはしても、シチュアシオニストを名乗る以上、もう権力の再生産に与するハイ・ アートに奉仕するわけにはいかない。もっとはるかに移ろいやすく、決して尻尾をつかませない、 軽薄なポスターやチラシ、流行のファッションや街頭での演説といった生の素材から、あくまで シチュエーションは具体的に組み立てられなければならない。 》 338-339頁

《 セックス・ピストルズはまさしく、偽シチュアシオニストとしてのマルコムによる、 スペクタクルの確信犯的な誤用から産み落とされた、まったく新しい後美術(アート)の実践 であった。いまならはっきりとそう言うことができる。 》 345頁

《 事実、同様の手法は1980年代の半ばすぎ以降、日本の森村泰昌や第7章で触れたシンディ・ シャーマンらによって、美術史を対象に活人画風のタブローへと仕上げられ、大きな話題を呼ぶ ことになる。が、美術と音楽との壁を汎アート的に取り払う後美術的な見方をすれば、マルコムによる 写真を使ったマネの図像の盗用的活用は、かれらと比べても、なお十分すぎるくらい先駆的であった ことになる。 》 348-349頁

《 ここから考えたとき、ジャンルをメルト・ダウンさせて後美術を見出すための歪んだ回路としての 「ノー・ウェイヴ」の可能性は、その概念や装置の積極的な誤用に賭けられていることがわかる。 その意味では、後美術とは「誤美術」でもあるのだ。美術という概念をいかにして創造的に誤用するか。 そこにこそ、美術におけるノー・ウェイヴとしての後美術(アート)の潜在的な野生も眠っている。 》  354頁

《 「次は溶解だ(メルト・ダウン・イズ・ネクスト)」──なぜなら、この混沌の次に訪れるのは、 ジャンル=近代美術の「溶融」だろうから。そして、この溶融の中から、私たちは歪みと騒音に満ちた マニュアル御免の「後美術(アート)」を、いささか荒っぽい手つきでつかみ出さなければならない。 》  364頁

 この論説の展開に昭和四十年代の日本のジャズ・シーンを思い起こす。山下洋輔トリオらと相倉久人平岡正明らの論客、アジテーターの活躍。やけに熱かった新宿駅の東側。といって、後美術の概念を 援用してその時代を語るには、荷が重い。K美術館、2003年の企画展「新宿 言葉 JAZZ」を思う。
 http://web.thn.jp/kbi/kikaku1.htm
 http://web.thn.jp/kbi/zz1.htm

 春分のきょう、午後には春雨が止むと思っていたが、普通の雨降りに。あれま、傘が要るとは。

 ネットの見聞。

《 「八紘一宇の本来の意味を大切に」というが、「古事記」を見れば、神武は侵略者、「国作り」 のため殺戮に次ぐ殺戮、それもだまし討ちOK、挙げ句に天皇家で血で血を洗う跡目争い、 天皇家は人殺しの末裔。そのすべてを美化。「八紘一宇」の本来の意味がなんだか、すぐにわかる。  》 寮美千子
 https://twitter.com/ryomichico

《 歴史、心理学、文化人類学、国語、社会学、そういったものは想像力を醸成し、 共感する力を付けるのに本当に大事なことなのです。 》 谷本真由美
 http://wirelesswire.jp/london_wave/201503031606.html

《 アイデンティティと大地というのはたしかに興味深いテーマだ。 》 森岡正博
 https://twitter.com/Sukuitohananika

《 ショッピングの支払いにリボルビング払い(リボ払い) 》
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/sj/20121109/330028/

 そんな支払い法、知らなかった。なにせ、カードは持たない。住基カードはもとよりクレジット・ カード、ポイント・カードも持ってない。テレフォン・カードは持っている。使っていないけど。 車の免許も無ければ……無い無いを挙げていったら情けなくなった。借金が無いのがせめてもの救い。

《 「保健室に太陽の塔」 》 Eテレ『びじゅチューン!』
 http://www.nhk.or.jp/bijutsu/bijutune/

 Eテレ、やるねえ。

 ネットの拾いもの。

《 今現代アートって呼ばれてる作品は1000年後何アートと呼ばれるのでしょうか。 》

《 「NHKは“何と恥ずかしい会長”の略」 》