山本浩貴『現代美術史』副題「欧米、日本、トランスナショナル」中公新書2019年初版、「第一章 拡大された芸術の概念 一九六〇年代~八〇年代」を読んだ。 ランド・アート、コンセプチュアル・アート、パブリック・アート、ハプニング、フルクサスといった運動、ジョン・ケージ、ヨーゼフ・ボイス、武満徹、一柳慧ら 多彩な人たちが取り上げられている。しかし、現代音楽は論じられても大衆音楽、フリー・ジャズ、ニュー・ロックには言及されていない。拡大された芸術の概念なら 視野に入っていそうなものだが。そこまでは広げられなかったか。「久保田成子《ヴァギナ・ペインティング》(1965年)」66頁は、昭和のストリップの演目の一つだが、 どちらが早かったのだろう。
「第二章 芸術における関係性をめぐって──一九九〇年代~現在」を読んだ。欧米の知らない現代美術家たちがわんさか紹介されている。
《 一九九〇年代に入ると、現代美術の世界では特定の名称で括ることのできる潮流が見当たらなくなっていきます。メディウムの多様化やアプローチの細分化が輪をかけて 進んだことがその一因です。とはいえ、注目すべき傾向は少なからず存在しました。その一つが「他者」に対する関心の高まりです。一口に「他者」と言っても、多彩な バリエーションがあります。 》 79頁
《 コンセプチュアル・アートは、作品の内容(扱われている題材)を重要視する芸術でした。これは作品の形式(見た目)を重視するモダニズムに対する懐疑から出現して きた潮流です。それに対し、リレーショナル・アートは作品が産出する「関係性」に強調点が置かれている芸術と理解されます。
ここで「関係性」という言葉は重層的意味を含みます。第一に、作品と鑑賞者の間の関係性。(中略)換言すれば、鑑賞者の介入に補完されることで作品が成立する のです。第二に、鑑賞者の間に生まれる関係性。 》 85頁
《 ヘラーが作り出した空間で、鑑賞者は特殊な遊戯体験をすることになります。そこでは普通は美術館では起こり得ない仕方で、見知らぬ鑑賞者同士に関係が結ばれます。 》 86頁
《 一九九〇年代後半から二〇〇〇年代前半に至るコミュニケーション生成を主眼とするリレーショナル・アートの流行を受け、二〇〇〇年代中頃から美術史・批評の分野で それに関連する議論がなされていきます。その中で、ソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)という用語が盛んに用いられるようになりました。
「はじめに」でも紹介したように、この用語は作品やプロジェクトを通じて社会的・政治的問題にアプローチする芸術実践を広く指します。 》 91-92頁
《 類似の用語も多数登場しました。「参加型アート」、「対話型アート」、「コラボレーション型アート」などです。最近では、「ソーシャル・コオペレーション」や 「ソーシャル・ワークス」など、アートという接尾語のない名称もよく見かけます。こうした驚くほど多彩な語彙は、社会的芸術実践の対象の幅広さを物語ります。 》 92頁
《 ティラヴァニに代表される関係性的な実践が作り出す共同体が安心や心地よさに支えられるなら、敵対性を孕む芸術は鑑賞者に不安や不快感をもたらします。美的なもの と社会的なものの間には常に埋めることのできない緊張関係があり、それを体現するのが「敵対性の美学」です。その緊張こそ社会を変えていくための潜在的可能性であると ビショップは主張しました。なぜなら、それは社会の中の隠蔽された問題を可視化する力を有するからです。 》 94頁
《 それは同時に、現代美術を構造的に支える後期資本主義や国際芸術祭が抱える矛盾を告発する側面も持っていました。 》 97頁
《 一方、自らの社会的実践を「芸術」とみなさない人々もいます。 》 100頁
《 というのは、彼女らの活動は「美しいものであること」よりも社会的意義を重視しているためです。 》 101頁
《 コミュニティ・アートという用語を定義するのは困難です。 》 104頁
《 前章のシチュアショニスト・インターナショナルを先駆とするような、政治的事象への直接介入を試みる過激な芸術実践も注目に値します。 》 113頁
《 かように現代美術における社会的実践をめぐる議論は端緒についたばかりで、たいへん活発なステージにあると言えます。 》 118頁
まあ、ホントに賑やかだわあ。
ネット、うろうろ。
《 命をかけて没頭できる主題は強烈に主観的なものである。それは僕の好きなものであり、それと同時に嫌いなものである。それは単純に肯定したり否定したり できるものではなく、僕という主体を揺さぶり、破壊し、主体以前の状態にさせてくれる。冷静に客観的に理路整然と話す僕を情動の塊へと回帰させる。 》 上妻世海
https://twitter.com/skkzm/status/1236573712356237312
《 フクシマ50を観ました。
全編ヒロイズムを謳うために事実誤認、嘘の数々
一緒に出口を出た20代女性2人「私、日本に生まれて良かったと初めて思った」「私も。死ぬなら2人でって手紙すごいよね」
途中で嘘っぱちばかり!と叫びたくなった私はゾクッとしました。以下事実誤認を 》 木村結 https://twitter.com/yuiyuiyui1114/status/1236600776622886912
《 吉田さんは、津波予測が引き上げられて15mの対策をせねばならなくなったとき、その対策を拒絶し、葬った張本人なのです。 要は、福島核災害を引き起こした真犯人なのです。
拒絶した理由は、「そんなことをしたら採算がとれなくなる」です。 》 Hiroshi Makita Ph.D. https://twitter.com/BB45_Colorado/status/1236276570358034432
《 糸井重里氏とその周辺の人々は、震災&原発事故以来、人々が「正義」を語ることや、政治的にふるまうことを時にはあからさまに時にはやんわりと攻撃し続けている。 私はその立場にいつも強い違和感を抱いている。正直な話、卑怯な態度だと思っている。ま、オレがそう思っているというだけの話だけど。 》 小田嶋隆
https://twitter.com/tako_ashi/status/1236326308776267776
《 文科副大臣が「教諭」を読めなくて、「きょうろん」とか国会で言っちゃう国本当にすごいな、、今まで仕事で「教諭」て言葉を見聞きしたことさえなかったんだろう か。というか文科副大臣でなくても普通に知ってるレベルの言葉ではないのか、、?なんなのかこの国の大臣レベルのあまりの無教養さは 》 弁護士 太田啓子
https://twitter.com/katepanda2/status/1236656758447386624
《 森友
→しらっばくれて時間だけ稼いで有耶無耶に
加計学園
→しらっばくれて時間だけ稼いで有耶無耶に
桜を見る会
→しらっばくれて時間だけ稼いで有耶無耶に
コロナウイルス対策
→しらっばくれて時間だけ稼いでたら大惨事に
まあ事前に辞めさせてなかった日本人の愚かさが招いた厄災だわな。 》 愛国心の足りないなまけ者 https://twitter.com/tacowasabi0141/status/1236571063464665088
《 なぜ中高年の感染者はジムを目指すのか問題↓
60代男性(静岡)→クルーズ船下船後にスポーツクラブへ
80代女性(千葉)→感染に気づかずスポーツクラブへ
70代女性(名古屋)→ハワイから帰国後に行ったスポーツジムで60代女性感染者と接触
70代男性(横浜)→発熱後スポーツジムへ(NEW!) 》 まことぴ
https://twitter.com/makotopic/status/1236171796929327104
《 サイン馬券5-6-7(コロナ)も無かったな。 》 下流人生 、風俗日記
https://twitter.com/karyujinsei/status/1236558082374684674