『 谷川俊太郎 エトセテラ リミックス 』

 先月20日の拙ブログ、椹木野衣『後美術論』美術出版社、「第6章 次は溶解だ(前編) メルト・ダウン・イズ・ネクスト」 。

《 これは同じ詩人でも、非物質的な意味の純化を求めて徹底的に形式主義的であろうとした (=視覚芸術に近づこうとした)マラルメに対して、ツァラの詩がはるかに肉体的な野生を 備えていたことの証左でもある。仮にマラルメが作曲家的であったとしたら、ツァラは圧倒的に 言語の演奏者(プレイヤー)なのだ。 》 297頁

 齋藤磯雄『詩話・近代ふらんす秀詩鈔』「第四章ステファヌ・マラルメ」の一節。

《 芸術に於て、霊感よりも知性の計算を重んずるこの制作態度を、マラルメは恐らく ボオドレエルとポオから学んだ。 》

 トリスタン・ツァラ(Tristan Tzara、1896年-1963年)。まさしく二十世紀の詩人だ。ジャズに 通じるような。
 椹木野衣『後美術論』を白鯨みたいでもある、とある人は書いている。たしかにメルヴィルの 長編小説『白鯨』に通じるものがある。

 きょうは軽く谷川俊太郎谷川俊太郎 エトセテラ リミックス 』いそっぷ社2006年初版を。 1979年に出た本の増補改訂版=リミックスという題名どおり「もういちどあとがき」がある。 それはおいて、帯文から。

《 オールカラー40頁のミニブックス付き 》

 文=谷川俊太郎・絵=渋川育由『ひとりの部屋』。装丁・栃折久美子。これが愉しい。

《  ドアノブ

   私としか握手したことがない  》

《  スイッチ

   迷うってことがないんだから  》

《  鏡

   正直すぎる  》

《  引き出し

   無口すぎる  》

《  窓

   退屈な映画ね  》

 ルナアル『博物誌』並みの辛辣さだ。それにしても、一冊なのにミニブックスとは。

 1979年に出た元本のあとがき「ありがとう概説」から。

《 出版界不況の折、著者の私情によって市場を混乱せしむるの愚は避けなければならない。 》

 2006年のことかと一瞬思った。さて本文。「おもちゃ考」から。

《 ぼくは空想の世界で遊ぶよりも、手で触れることのできる物で遊ぶほうが好きな子どもだった。 大人になったいまも、その性質は変らない。 》

《 みんなが何かを(言葉も含めて)いじくりまわして、その物の本当の重みを計りかねている みたいな気がするから、かえって子どものころのおもちゃを通してとらえていた世界の姿が 新鮮に感じられたりするんだな。 》

 毎日新聞夕刊に天皇陛下のおことば全文が掲載。NHKテレビ昼のニュースで省かれた部分。

《 私どもは、この機会に、この地域で亡くなった日米の死者を追悼するとともに、パラオの 人々が、厳しい戦禍を体験したにもかかわらず、戦後に、慰霊碑や墓地の清掃、遺骨の収集などに 尽力されてきたことに対し、大統領閣下はじめパラオ国民に、心から謝意を表したいと思って おります。 》

 ネットの見聞。

《 普天間移設問題 知事、来月にも訪米 大使との会談打診 》 琉球新報
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241541-storytopic-53.html

《 ニトリホールディングス社長 似鳥昭雄 》

 似鳥はニトリと読むのか。『理由(わけ)あって冬に出る』創元推理文庫2007年でデビューした 似鳥鶏はニタドリ・ケイと読む。

 ネットの拾いもの。

《 古本好きを夫に持つ妻の嘆き。

  旅先ではいつも古書展が開催されている。 》

《 私は65歳になる。立派なアラカンなのだがつい先日までそれがアランド還暦の意味だということを 知らずにいた。どう思っていたかというとアランド棺桶の意味だと思っていた。 》