「深さの曲線」

 昨日引用した洲之内徹の文。

《 一つの音から次の音へ移る間に、音がどれだけの深さの曲線を描いているかがリズムだ。 》

 これにうんうんと相槌を打ってくれる人がどれほどいるだろう。深さの曲線。すごい言葉だ。
 よく行く店で壁にお茶室で掛け軸に使う古い書の断簡を額装したものを展示している。草書体の字は、 門外漢の私は読めない。そのような書の美は、紙(布)と墨の協奏であり、同時に上記引用の 「どれだけの深さの曲線を描いているか」で、判断されよう。昨日その書の下で、デザイナーの 内野まゆみさんが一昨日描いた十数枚の名刺の絵を手にした。細身の名刺だから、 目を近づけて描かれた草やコヒー・ミルを見つめる。私は彼女の描く、すっと伸びる草の絵が好みだが、 以前(といっても今年)の絵と違う。あやめを描いた筆がさらに鮮やかに伸び、何よりも七本の茎が濃淡様々で、 前後の奥行き、すなわち絵画の妙味が加わっている。名刺のかたちの細密画といえよう。
 彼女はささっと描いたと、こともなげに言うが、「どれだけの深さの曲線を描いているか」の見本がここにある。 幼少から書を習い、才覚を現した彼女は、デザイナーの仕事のなかで、書家でも水墨画家でも多分試みなかった、 書から出発した線描画を創り出した、と思う。名刺を手にしたデザイナー仲間は、「おおっ」と思わず声を上げる。 五センチ四方に満たない画面に細筆一本で描かれた線描画。それは書道の修練で血肉化された身体リズムで線を引く という技とともに、繊細細微な点描から流麗優美な曲線まで、一つの身体的瞬発力で貫かれている。よって、 全体と細部が一体化してアクロバティックな筆の跳躍、そのはなれわざに、あっと釘付けになる。

《 いうなればこれは私の即興演奏である。 》

 この洲之内徹の言葉も、内野まゆみさんの線描に当てはまる。彼女は下描きなしに一気に描く。 じつに潔い、気持ちのいい線だ。
 管見では、油彩画でも日本画でも水彩画でも水墨画でも、多分このような試みはなされていない。 しかし、手にしているのは名刺。名刺には値段がない。美術の価値は計り知れないが。

 「『男は一代』補遺」の章。

《 つまり、いつもこの美しさは何だろうと思うのだが、物が物を超えてその物以上の物になるとき、 物は真に美しいのかもしれない。それが抽象ということかもしれない。 》 199頁

 「限定放浪」の章。

《 絵かきと、絵かきでない人との区別はどこで付けるか。どこで見分けるか。 》 200頁

《 絵かきとは何かでいくら理窟を並べてみてもはじまらない。それは結局、 こうして眼で見るよりしかたない。 》 201頁

 つくづくそう思う。

 ネットの見聞。

《 政権を取ったぐらいで歴史や憲法を踏みにじって良いと勘違いしてるあなた方が 批判されてるだけなんだけど。 》

 ネットの拾いもの。

《 「わが国の存立を脅かす重要事態」ってのは、危険な大惨事安倍内閣の存立のことだろ。 》

《 高齢者ラップ選手権やったら単語出てこなくて「忘れちまったよアレだよ、アレ」 「いったい何だよ、どれだよ、それ」みたいになりそう。 》