『明治の表象空間』

 朝、ぼんやりネット巡遊していると、中野区立中央図書館で香山滋展開催中の記事。覚醒。「異形の作家 香山滋〜古代・浪漫・奇譚〜」28日まで。山名文夫宛の書簡! 昭和23年刊『オランペンデク奇譚』 表紙、山名文夫の絵にゾクッとしたのは四十五年前のこと。
   http://furuhonya-tour.seesaa.net/article/432292952.html

 午後、清住緑地の雑木と密集した笹竹の刈り取りを都留文科大の学生たちと行う。風がなく気持よく作業。 いい汗をかいた。

 松浦寿輝『明治の表象空間』新潮社2014年初版、「終章 総括と結論」を読み、読了。十日あまりか。 野間宏『青年の環』全五冊を二週間ほどかけて読んだ以来の濃密な読書体験だった。ふう。なんという力技。 再読したくなる。

《 兆民の言う通り、「恢復期の民権」を「下より進取する」のではなく「恩賜的の民権」を「上より恵与」 されることで代表制の政体を獲得したわが国の人民は、上意下達の警察官僚制のシステムに易々と馴致された。 (中略)そして、そうした積極的順応のエートスは、昭和二十年八月十五日で消滅したわけでは恐らくない。 「1968」という符牒で呼ばれる一過性の叛乱の季節が遠い過去の記憶として風化し、感傷的に回顧される 胡乱な英雄伝説と化したニ一世紀初頭の今日の日本で、権力による馴致をむしろ積極的に受容しようとする 心身的な態勢は社会の種々様々な場面でますます強化されつつあるかに見える。 》 647-648頁「セリー I =理性」

 大川渉『酒場めざして』ちくま文庫2012年初版の一節を連想。

《 それにしても、日本人の流行に弱い体質、というより情報に左右される体質は驚くべきものがある。 「食」という極めて個人の好みが反映するものでも、「これが正しい」と言われると、それに従うようになり、 さらに他人にまでそれを押しつけようとする。 》 268頁「ワサビとシシャモからみたニッポン」

 セリーはフランス語 serie だろう。「音楽用語。順列のこと。特に12音音楽作曲の基礎として用いられる 音列をさす。」

《 われわれが本書において「明治の表象空間」として記述しようとしたものは、ひとことで言えば「穴」を 掘ろうとするものとそれを「制止」しようとするものとが、血みどろの闘いを続ける言説の戦場である。 千葉県の巡査が明治十六年に書いた職務執行の記録の一断片と、虚構の物語の紡ぎ手が昭和四十三年に書いた 小説作品の一断片とが、そこでは唐突に共鳴し合い、意想外の倍音を鳴り響かせる。一方を研究の資料として 読み、他方を文芸批評の対象として読んで、それぞれ固有の受容装置のうちに閉じこめてしまうかぎり、 この共鳴は起こらない。 》 699頁「結論」

 「昭和四十三年に書いた小説作品」とは大江健三郎の『狩猟で暮らしたわれらの先祖』。松浦寿輝 『明治の表象空間』は、椹木野衣『後美術論』美術出版社2015年に並行、共振する。

《 「ジャンルは破壊されなければならない」という、いささか執拗な私の批評的動機は、それ以来ますます 大きく、さらに切迫的なものとなりつつある。 》 615頁『後美術論』「あとがき」

 「それ」とは東日本大震災のこと。

 ネットの見聞。

《 画像に「修正あり」と表記が必須に。 》 cafeglobe
 http://www.cafeglobe.com/2016/01/051640model.html

 ネットの拾いもの。

《 共産党と生活の党以外は、トリクルダウン期待野党。 》

《 ♪ 心の岸辺に咲いた魔界スイトピー ♪ 》