『肉眼の思想』

 昨夜、アグスティン・バリオスのギター曲集やショパンノクターン集のCDをかけてみたけど、気分が 乗らない。首から上の音楽は、今は受け付けないようだ。上半身のポップスや歌謡曲、ロックを通り過ぎて、 下半身のジャズ、ラテン、アフリカへ落ち着いた。

 昼前、小田原市からの三十人ほどの源兵衛川の視察案内。同行のグラウンドワーク三島の女子職員から、今月一杯の退職を告げられる。知ってはいたけど、なんかしんみり。またお茶飲みにいきたいです、と言われる。お茶ちゃかい、酒じゃあないのかい、とは言わず「そうだね」と返事。

 視察で訪れたホタルの養殖場を管理している塚田冷子さんが、餌のカワニナが少ないと言うので午後、川へ。思ったほど採取できなかったが、届ける。カワニナ、ネット販売しているんだ。へえ〜。

 大岡信『肉眼の思想』中央公論社1969年初版、前半を再読。これは初めて買った大岡信の本。刊行当時に読んで 深い感銘を覚え、影響された。

《 実際、何ものかを創造する──これは軽々しく口にすべき言葉ではないのだがあえて使うなら──ということは、平たくいって、他の人々が見すごしていたものに問題を感じとり、それを明確にし、形を与えるということにあるのだ。  》 11頁

《 人が、なすべきことをなし、作るべきものを作り、さらに、なすべきこと以外のもの、作るべきもの以外のものの中に、不可避的な内部のうながしによって、さらになすべきことを見出し、さらに作るべきものを見出してゆくとき、人は人間的にいちじるしく高められた状態をわがものにすることができるだろう。 》 13頁

《 既成観念のレンズを通してみれば反乱的、犯罪的にみえようとも、より根源的な意味での自然の力、すなわち 破壊と脱皮によって自己を更新してゆく生産的な自然のリズムに対しては忠実であるようなものこそ、文化の肉体をつくってゆくものであろう。 》 17頁

《 機械、すなわち応用科学的道具の発達は、芸術に対してすでに多くの変質を強いてきた。印象派が光のプリズム的分析に影響されて、対象をその表皮に映ろう光の微粒子の集合体としてとらえるようになり、「対象の存在感」を追求するよりは、むしろ「対象の解体」という、現代芸術にまで尾を引く一連の芸術理念の第一歩を踏み出した例を あげるだけでも、そのことは明らかだろう。 》 36頁

《 人間の精神にとって、視覚的整頓がすなわち理解しやすさにつながるかどうかは、もっと深く検討してみる必要のある問題である。 》 97頁

 闊達な文章で、軽快に読み進んでゆくが、はたと、その眼差しの先の深さに気づく。

 ネットの見聞。

《 【ブックガイド】震災はどのように描かれてきたのか――ノンフィクションから小説まで。必読の14冊 》  週刊文春 WEB
 http://shukan.bunshun.jp/articles/-/5969

《 64番目の都市への空襲で敗戦となり、80番目であった奈良市や124番目であった鎌倉は空襲を免れたのです。 法隆寺のある斑鳩町は人口が小さすぎてそもそもがリストアップされていませんでした。日本の文化財の恩人 ウォーナーの話は全部ウソです。  》 住友陽文
 https://twitter.com/akisumitomo/status/709559561955332096

《 国連が批判する日本の漫画の性表現 「風と木の詩」が扉を開けた 》 BBC
 http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-35742160

《 日本語にも「ウナギ文」「象鼻文」「カキ料理構文」「モナリザ文」などと呼ばれるものがあります。 特殊な構文では、典型的な例文に登場する名詞をその構文の名称にすることは珍しいことではないと思います。 》

 ホントだ。

《 安倍政権がやっていることは近隣窮乏化ならぬ、自国窮乏化です。 》 日刊ゲンダイ
 http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/176894/2

 ネットの拾いもの。

《 「神武以来の貧乏神」 》