「混沌とした本の劇場」

 昨晩は友だちと三嶋大社へ夜桜見物に。輝く星と点滅する飛行機、夜を従えて艷麗妖艶凄艶が入り乱れる満開の桜。 お腹が空いたと友だちは、賑わう夜店のたこ焼きを食べる。これまた一興。

 雨。午後一時、埼玉県から来訪された二人を源兵衛川へ少し案内。その後グラウンドワーク三島事務所で説明、 質疑応答。いろいろヒントがあったようで、関係者を連れてまた来ます、と。午後三時過ぎ帰宅。

 昨日購入のアルフレート・デーブリーンベルリン・アレクサンダー広場』、知人女性に見せたら辞書みたい(厚い =読むの?)と言われた。しかし五百頁余、さほど厚くはない。が、熱くなるわ。いい手触り。今でしょ、と少し読む。 面白そう。何日かかけてゆっくり読むつもり。

 ポール・ヴァレリー『精神の危機』岩波文庫を少しずつ読んでいる。時代へのあまりに深い考察にしばし本を置き、 うーむと考える(休むとも言う)。一気に読む本ではない。読める訳がない(私だもの)。

《 かつてこれほど甚大かつ急激な変化を経験したことはなかった。地球全体が隅々まで精査され、探査され、開発され、 さらには領有されるにいたった。最も遠いところかで起こった出来事が瞬時に知られるようになった。 》 113頁「『 精神』の政策」

《 この精神という名前によって、私は何らかの形而上学的な実体を意味するつもりはまったくない。私が意味するところは、 ごく単純に、一つの変換する力のことである。 》 125頁「『精神』の政策」

《 まず簡単に言えることは、現在、我々にあっては、感受性の減退、一種の全般的な鈍磨現象があることだ。我々近代人は 感受性が相当鈍っている。 》 152頁「『精神』の政策」

《 すなわち、我々は軽薄さと不安の間に引き裂かれた存在なのだ。 》 153頁「『精神』の政策」

《 我々は成熟する余裕を失っている。 》 154頁「『精神』の政策」

 「『精神』の政策」は1932年の講演を翌年活字にしたもの。

 美術品の物欲は激減している。目を瞠るような凄い品にそうそう出合うわけがない。でも、どこかに未知の優れた作品が あるはずだ、とは思う。それにたいして本の物欲は減らない。本なら数千円で凄いものを買える。だからと無闇に買うと 整理に苦労する。まったく、あるはずの本が見つからない……探す苦労は予想しなかった。といって人名順に並べるのは 面白くも楽しくもない。この辺の兼ね合いが難しいところ。本棚に並んだ本の背を眺めているだけでいい気分。読んだ本、 いつか読む本それぞれが入り混じって混沌とした本の劇場を構成している。混乱に近い雑多な状態が楽しい。三浦しをんに 『人生激情』があるが、なものかなあ、と持っていない、読んでもいない本の内容を思い浮かべる。激情だからなあ。

 ネットの見聞。

《 芸能人やスポーツ選手は徹底的に断罪されるが、放射性物質の拡散で多くの人の故郷を奪った連中の責任は問われない。 すばらしきかな法治国家。 》 鈴木博喜 (「民の声新聞」発行人)
 https://twitter.com/s_hiroki24/status/717863844786253824

《 昔、呪術者であった王は、地震津波が起きたり、戦争で負けたりすれば、王としての能力が足りなかったからだとして 殺されたりしたという。いまの日本、なにをどう失敗しても、総理大臣という「最高責任者」は断罪されない。選挙も通る。 なんというヌルイ国民だろう。 》 寮美千子
 https://twitter.com/ryomichico/status/717765532468916224

《 さらに考える事がある。日本では速やかにドアを閉め電車が遅れない様にしなくてはという意識が鉄道会社側にも 乗客にもあるのではないか?何が重要かを判断するのではなくルールの方が全てに優先してしまっている日本が ここにもあるのではないだろうか? 》 エリック ・C
 https://twitter.com/x__ok/status/717674242096177152

 ネットの拾いもの。

《 アナと雪之丞 》