再読『内田魯庵山脈』二(閑人亭日録)

 山口昌男内田魯庵山脈 〈失われた日本人〉発掘』晶文社2001年初版、「5 蒐集家の筆頭──林若樹」を読んだ。

《 ここで魯庵は(林)若樹を、柳田国男のように、金持ちの道楽息子が骨董品や書籍を土蔵に秘め匿し持って、ときどき取り出してひけらかすというようには見ない。 若樹の蒐集家としての実力、眼識に敬意を払い、そのうえで、その抜群のデザイン感覚を愛(め)でているのである。 》 84頁下段

 『定本 柳田國男集 昭和52年 筑摩書房 月報揃 全31巻別巻5揃』がヤフオクに出ている。
  https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m381484642

 85頁下段に内田魯庵『獏の舌』からの引用があるので、『獏の舌』ウェッジ文庫2009年初版にあたる。86頁に当該文章。解説で坪内祐三は書いている。

《 それに触れるにはもはや紙数がつきたし、私の解説なんかよりも山口昌男の名著『内田魯庵山脈』(晶文社)を繙いてもらいたい。より深く味わうことができるから。 そして、知識の持つ無用の用の凄さを体感するだろう。 》

 「6 人類学の祖にして趣味の人──坪井正五郎」を読んだ。

《 (弥生時代というのは坪井の命名によるものである) 》 112頁下段

 「7 精神の系譜(ジェネアロジー)を捏造する──フレデリック・スタール」を読んだ。

《 あるいはもし魯庵と会う機会を与えられて、北部ナイジェリアの山中での経験を話すことができたら喜んでくれたのではなかろうかと思う。そうでなくても、私は 坪井正五郎のほかに淡島寒月魯庵に人類学のトーテム的祖先の姿を勝手に見ようと心掛けているのだから、このような精神のジェネアロジー(系譜)を捏造することも 許されようというものであろう。そうでなくても、この程度の遊び心と精神の自由を欠いては魯庵の面白さはわからないと断言・助言しておこう。 》 135頁上段

 「8 神田の玩具博士──清水晴風」を読んだ。

《 魯庵はここで、境界を越える達人としての清水晴風を論じているのである。明治以後のスノビズムの玄人の概念に対して、素人の側から、境界を突破する試みとしての 自らの生き方を対置したといえる。自分が魅かれるものに対して徹底的に付き合うという態度を晴風は貫き、その姿に多くの人が感銘を受けていたのである。 エスタブリッシュとかメジャーの観念は晴風にはまるでなかった。こういう人は我々のまわりからほとんど消えてしまった。 》 139頁上段

《  我々が想い出すのは、林若樹が根岸武香のあと事実上の会長であったが、ついに会長にはならず、合議制で通したという事実である。そして晴風世話人で通したと いうことである。
  そういう点では晴風は、「消えた日本人」の一人であったのかという気がする。つまり本書は近代化の中で消えた粋で知的な日本人の研究ということになるのかも しれない。 》 145頁上段~下段

《 魯庵は一人の人物の死とともに文化および時代にとって不可欠の部分が少しずつ失われていくことを惜しんだのであった。魯庵が感じ取ったのは、時代によっては 一人の人物の死による、その人物が背負っていた代わりのきかない何ものかの消失であった。 》 152頁上段

 朝から野暮用で外出。小雨の街中はひっそり閑。師走の風情はスーパーの正月飾りのみ。不景気だねえ。
 昼、白砂勝敏さんからメール。提案した個展の題を気に入ってくれた。やれやれ。
 午後、マンガ家、故つりたくにこさんのご主人から電話。遅れているけど、正月明けには今年イタリアで出版された彼女の本を持参できる、と。嬉しい知らせ。 平野雅彦氏の紹介記事とウィキペディア
  http://www.hirano-masahiko.com/tanbou/1388.html
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%82%8A%E3%81%9F%E3%81%8F%E3%81%AB%E3%81%93

 ネット、うろうろ。

《 今改めて思うのは、「歳を取ると自由になる」ということ。 》 大野左紀子
  https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1211502094441598977

《 研究は生き物。あるいは糠床。世話をする感じ。でもいうことを聞かない。向こうの都合に合わせて動く必要がある。 》 千葉雅也
  https://twitter.com/masayachiba/status/1211459540895465474

《 女の体は人間の体 /自撮り熟女マキエマキ 》 note
  https://note.com/makiemaki/n/n0b833b7d4f43

《 広いパースペクティブの中でアートを見ていくべきです。どうしても現代美術の関係者・専門家って現代美術業界の判断基準で見ているわけじゃないですか。 「art for art sake」(アートのためのアート)っていうのは、それはそれで、少数のエリート意識に支えられ、強力な島宇宙をつくっている。でもそれだけでは 十分ではないんじゃないか。/ 南條史生が振り返る、森美術館館長としての13年と日本のアートシーン。「それでも現代美術しかない」 》 美術手帖   https://bijutsutecho.com/magazine/interview/21054#.XgXU59RFXSw.twitter

《  「万葉集限定」と言えば聞こえはいいが、実際は「元号は中国古典由来という長く続いた伝統」を安倍晋三氏が国民に何の相談もなく「廃止」した、ということ。 伝統の破壊者。これのどこが「保守」なのか。

  日本由来に固執する態度は、逆に精神的な余裕の無さを浮き彫りにする。 》 山崎 雅弘
  https://twitter.com/mas__yamazaki/status/1211239440904908800

《 何がイラつくって、我が国の内閣総理大臣がアホだということだ。 》 菅野完の従兄弟の同級生のお兄ちゃんの彼女の先輩の友達
  https://twitter.com/noiepoie/status/1211543158749679616

《  2020年は、
  「あけましておめでとうございます」
  ならぬ
  「アベ辞めましておめでとうございます」と言えますように 》 夢吉
  https://twitter.com/ytokumo/status/1211407783305736193

《 「節子、それ相模湾やない。駿河湾や。」 》 ISHIBASHIH
  https://twitter.com/1484h/status/1211486735663677441