『内田魯庵山脈』其の八(完)

《 日本近代の面白さの一つは、数々の新しがり屋が出て先人の業績否定を行ってきたが、最も鋭い感性の持ち主には 一貫した趣向が持ちつづけられるということである。その例が今触れているルイーズ・ブルックスである。ルイーズ・ ブルックスについては晩年の淡島寒月がすでの明治年間に書いた文章において触れている。それに魯庵がモダン・ガールの 精粋として触れ、大岡昇平が晩年に一冊の本を出している。小林秀雄河上徹太郎にはこの粋さが欠けており、骨董に 埋没したとはいえ、映像の世界のモダニズムにこの二人の批評はついには無縁であった。 》 554頁上段

《 魯庵のモダンに対する考え方は近代日本の屋台骨の貧弱さという点にかかっている。新思想、新学問、図書館に対する 理解の低さ、女性解放運動、蒐集行為の不徹底、これらすべては魯庵が不断に論じていた根において繋がる問題であったのだ。  》 555頁上段

《 魯庵が創出した思考、および表現のスタイルは、文による一種のコラージュのようなものであった。これは同時代的に 世界のさまざまの地域で試みられていた知のスタイルであった。つまり、小説、リアリズムの絵画などの十九世紀末以前に 確立された連続性に基づく全体像の提示に対して、この共通の方法は、非連続を恐れないところにある。 》 593頁上段

《 うさんくさく見られる随筆スタイルこそ、日本文学の定形からいちはやく離れて、モダン・アートの陣営に加わる魯庵 独自のやり方であり、これこそ、日本近代文学研究のなかなか言い当てられなかった方法なのである。そういった魯庵= モダンの像を、近代文学史の中から取り出す試みでもあった。 》 594頁下段(結び)

 山口昌男内田魯庵山脈〈忘れらた日本人〉発掘』晶文社2001年初版を読了。労作であり大著であり、先見の著作だ。 とりあえずは読んだ、という報告。知らない漢字が頻出して、その都度重い漢和辞典を引いた。簡単なのに苦労した漢字が 「苟も」。部首索引では艸(くさかんむり)で、前後の文から「いやしくも」だろうと予測して正解だったが。

 真夏日で暑い午後、ブックオフ函南店へ自転車で行く。古川日出男『 MUSIC 』新潮社2010年初版帯付、伊坂幸太郎夜の国のクーパー創元推理文庫2015年初版、門井慶喜『ホテル・コンシュルジュ』文春文庫2015年初版、古今亭志ん生 『なめくじ艦隊』ちくま文庫2011年21刷、薄田泣菫『茶話』岩波文庫1999年4刷、計540円。行ってよかった。帰りがけに 知人の店 TEKETEKE に寄り、署名紙を受けとる。それをグラウンドワーク三島事務所へ届けて帰宅。ふう。
 http://www.geocities.jp/teketekeweb/index.html
 http://www.gwmishima.jp/modules/information/index.php?lid=1531

 ネットの見聞。

《  『内田魯庵山脈』を語る〜東京外骨大学公開講座〜 》 山口昌男
 http://www.cokes.jp/pf/shobun/html/tyosya/tyosya-2k1-2.html

《 もんじゅ廃炉も、新型高速炉建設も、ペーパープランに終わるだろう。前例も見本も無いオペレーションを遂行できる 組織が日本に現れる訳がない。例えは不適切だが、経産省は、実行できる部隊が存在しないのに、稀有壮大な作戦を立案して 自己満足に浸っている軍司令部と同じと言える。 》 春橋哲史
 https://twitter.com/haruhasiSF/status/779709990751703040

 ネットの拾いもの。

《 ♪ 少女U〜 》