最低の落書き

 昨日、田町カフェで白砂勝敏さんに卵型一輪挿しの魅力を語った後、顔見知りの女性から話しかけられた。某市某 ギャラリーを中心にアートで街興しを考えているけど、いいアイデアを、と。ここにこんなに人が集まるなんて、彼女の 市のアートフェアではあり得ないこと、と言う。たしかに。彼女の関わっていたアートフェアは見事なまでに閑散としていた。 子どもにまでアートの裾野を拡げるにはどうしたら、と思案している、と。その発想からしてまずい。一案として出した 拙アイデアは。車道を歩行者天国にし、そこに模造紙をなが〜く伸ばして置き、子どもたちにクレヨンを与え、好き勝手に 落書きをさせる。まずはそこからでしょう。子どもが主役。指導者は要らない。次回には1m×1mの枠を線引きし、 おのおのその中に好き勝手に落書きをさせる。それからその数十数百の落書きから(ここが大事)「最低の落書き」を参加者、 観客のみんなが一人一票で、枠の中の端に例えば×印を記す。×印の最も多い最低の絵が優勝。賞品は商店街から提供された お菓子など。最高の絵を選ぶ従来のコンテストではない。コレ最低!と目を剥かせる絵こそ、最高の逆コンテスト。 いかに最低に見せるか、子どもたちは喜々として考え落書きに励むだろう。最低を競う落書き大会は、まだどこにもないと思う。 よってテレビ局が競って取材に来る。それを見に観衆が集まる。てなことを喋ったら、えらく気に入られてしまった。
 まあ、アートで街興しという発想では失敗が予定されている。自称「アート作品」を誰が見たいだろうか。物見高いは 人の常。話題になれば見に行くが、名前もよく知らないアーティストの作品を、立派だなあ、すごいなあと見上げる物好きは どこにいる? もしそれを開催するなら、アート作品罵倒大会をすることだ。立派だ、すごいと言われているらしい制作物を 観客が罵倒する。それがまずかったら、子どもの最低の落書き同様、最低の制作物投票をする。可もなく不可もない制作物は だれの関心も引かない。こんなもの最低だ!と顰蹙を買う、失笑を、苦笑を、嘲笑を招く制作物こそ次世代のアート候補。
 以上のアイデアは、何年も前から披露しているが、無視黙殺の連続でほとほと疲労。今回はどうだろう。子どもをダシにして 大人を誘客する。子どもの絵を見たさに親御さんは来る。まして最低コンテストとなれば。商店街に人が来る。

 女性が男性に対して発する「あんたって、サイテー」。それは侮蔑なのか称賛なのか。

 大型連休の最終日という。やっと明日から静かな日々が始まる。龍澤寺の雲水が声を張り上げて歩いていく。ブックオフ 長泉店へ自転車で行く。星野智幸『俺俺』新潮文庫2013年初版帯付、文藝春秋・編『下ネタの品格』文春文庫2013年初版帯付、 E・W・ハイネ『まさかの結末』扶桑社ミステリー2008年13刷、計二割引、259円。なんか体を動かしたくなって自転車で ブックオフ三島徳倉店へ。空振り。このまま帰るのはつまらない。見知らぬ道をあちこち通る。新築ばかりの町。ここはどこ。 迷子の気分。ワクワク。ドキドキ。いやあ楽しかった。再び挑戦したいわ。帰宅して少し読書。

《 知人の郷里の、勤め人ではなく商売をしている家では庭に樫(かし)とカリンを植える風習がある。貸しはするが、 ぜったいに借りん。 》 堀江敏幸『河岸忘日抄』新潮文庫154-155頁

 ネット、いろいろ。

《 注目されていない良作への照明こそ批評の仕事では。 》 岸井大輔
 https://twitter.com/kishiikyoukai/status/860992931418619904