「詩学序説」

 ポール・ヴァレリー詩学序説」1937年を『世界の名著 続12 アラン/ヴァレリー中央公論社1974年初版で読んだ。 ヴァレリー66歳のときの講義。

《 更にもし、文学の発展する文化的環境を考察しないならば、「文学」に対して十分に完全でかつ真実な観念を与えることは不可能である。この最後の考察は (他のさまざまな結果のなかでも特に)一つの重要な区別に到達する。すなわち、公衆によって作られるごとき作品(作品は公衆の期待を充たすゆえに、ほとんど その期待の認識によって作品は決定される)と、逆に、公衆を作る傾向の作品との間の区別である。新しきものと伝統との衝突から生じるあらゆる問題といさかい、 (中略)時の持続のなかにおける作品の運命、作品の価値の変遷、以上のごときものは、この区別から説明することができるのである。 》 469頁

《 すなわち、一つの作品の与える正当な効果に、このような多様性がありうるということは、実は作品というものの特徴なのであります。この多様性は一方、 生産作用の間に作者の前に開けた路(みち)の数が多かったことと相通じます。 》 482頁

 この講義、河盛好蔵の翻訳が私に合わないのか。67歳の初老は読解力の低下に苦しむ。ま、わからないことはそのままに。いずれわかる、かも。

 それはそれとして。昼前、午後、夜、気が向くと音楽をかける。いつも聴くものは決まっているけど、突然サンソン・フランソワにハマって毎日聴くとは、 思いもよらなかったが、それ以上に驚いているのが、音質が向上していること。音響機器はこの数年替えていないのだけれど、音像がより迫真的になった。 機器が練れてきたのだろうか。床を揺さぶる低音、楽器が弾ける、歌声が躍動。心が揺すれる、腰が搖れる。酒には早い、コーヒーを飲まずにいられようか。 ジャズ、カリブ海ギリシャアルジェリアギニアセネガル、ナイジェリア ETC. 音楽に酩酊の日々。いいぞお。いつもより音量を上げているせいかな。 これが音響機器の稼働ベスト状態なのかも。昔日のジャズ喫茶にいるみたい。やっぱり音楽は大音量で聴かなくては。近所迷惑? ここは繁華街だから問題なし。 賑やかでよい。

 それはそれとして。音楽にオンビートとオフビートそしてアフタービート(バックビート)があるように、絵画にもあるだろうか、とふと思う。印象派など筆触で 魅せるような感じだが、そのビート感覚が快感を喚起させる。ルノアールはオンビート、ファン・ゴッホはオフビートか。そんなビート、リズムを放棄した無調の 絵もあるかな。書なんかリズムとビートのかたまりのようなもの。リズム、ビート感覚で絵画を鑑賞するとなかなか面白い。長谷川等伯『松林図屏風』、尾形光琳 『燕子花図屏風』などまことに音楽的。椹木野衣氏は『後美術論』で美術と音楽の結婚といった新局面を提示したが、好き勝手に敷衍すると面白いと思う。

 それはそれとして。某ストリッパーのブログを見たら、駆け足で東京某所へ行きたくなったでござる。いかんいかん、行けねえ。平成初劇場だったけど。

 ネット、いろいろ。

《 どういう事情で、長いこと停めといても困らなかった原発が、この国には不可欠だって嘘をつく必要があるんだか、誰か説明してくれないか。 》 津原泰水
 https://twitter.com/tsuharayasumi/status/947869283584942080

《 「管理できる危機」はrisk、「回避しなければいけない危機」はdanger というふうに国際関係論では使い分かるという話を 昔国際関係論を教えいている同僚から聞いたことがありました。ほんとにそうだよな〜と思います。 》 内田樹
 https://twitter.com/levinassien/status/948367696587993089

《 ツイッター経由で風邪が広まってるっぽい(寝込んでいる)。 》

《  ズボラ女の最強アイテムがマスク口。
  これがあれば怖いものなしです。 》