『ドガ ダンス デッサン』四(閑人亭日録)

 ポール・ヴァレリードガ ダンス デッサン』岩波文庫2021年11月12日初版を少し読んだ。

《 彼はまた、こうも言っていた。「絵画は、何も知らないうちは、それほど難しいものではない……。けれどもいったん知ってしまうと……ああ、その時は……まったく 別物になるのだ!」 》 「いくつかの名言、さまざまな毒舌」 150-151頁

《 現代芸術は、もっぱら感覚器官の感受性だけに働きかけようとし、一般的な感受性や感情的な感受性を犠牲にするだけでなく、私たちの構築能力、持続累積の能力、 精神による変換の能力を考慮に入れていない。 》 「現代芸術と大芸術」 167頁

《 ますます尖端的に、ますます強烈に、ますます迅速に、そして絶えず新しくあろうとする、これが現代の要請であり、それは必然的に感受性のなんらかの鈍麻に 通じている。 》 同 168頁

《 かつての芸術において、持続の尊重が演じていた役割のすべてが、ほぼ消滅した。いまでは誰ひとり、二百年後に評価されるための制作などしていないと私は思う。  》 同 168頁

《 ある種の絵画がある時代に適合したとき、次の時代にはその適合が慣習と想われてくる。 》 「絵画史の要約」 170頁

《 あちこちで人びとの耳元に、〈自然〉もまた慣習だとささやくのだ。悪魔はリアリズムに印象主義を対置しはじめる。物体などというものはまったく存在しない。 網膜の諸特性以外のものを表現することを自分に禁じなければならない、とほのめかすのだ……。すべてがかすかに揺らぎはじめる。 》 同 172頁

《 私は彼に言ったものだ。「結局、あなたは〈デッサン〉という言葉で何を言おうとしているのですか?」
  ドガは彼の有名な警句で答えた。「〈デッサン〉とはかたち(フォルム)ではない。それはかたち(フォルム)の見方なのだ。」 》 「デッサンはかたちではない ……」 177-178頁

《 とても美しいものは感嘆の念で人を黙らせるということを決して忘れてはならない。
  それこそが、生みだそうと願うべきものである。それを、ぼう然として口がきけない状態と混同してはならない。その種の無言状態は、多くの現代芸術家が目指している ことだ。驚きの種類を少しも区別していないのだ。見るたびに更新される驚き、作品を吟味し、その作品とより深くなじむようになればなるほど、定義しがたいものとなり、 はっきり感じとれるものとなるような驚きがある。それは良い驚きだ。 》 「芸術の言語」 191頁

 深く同感。

 昨日、ネットゲリラ『謎の歌手、森田童子の正体が明らかに』のコメント欄に二つ投稿。
 http://my.shadowcity.jp/2022/01/post-23477.html

《ある年の冬、やなせたかし氏の誕生日お祝い会が帝国ホテルで催された時、歌人早坂類さんが小柄で小太りの女性と話していた。話を終えて私にひっそりと言った。 「彼女、森田童子さんよ。秘密。」》

 ネット、うろうろ。

《 仮想通貨の採掘はやったことないですが、実家に落ちている小銭の採掘には精を出しています 》 TKO
https://twitter.com/taitaism/status/1477458451710496773

《 「年越し支援・コロナ被害相談村」への相談者は、12/31が208人、1/1が260人、2日間で468人、昨年の3日間で344名から大幅増。10代から90代までの幅広い年代、 女性が20〜30%。
  多くのボランティアやカンパをされた方々に感謝。同時に脆弱な公的支援、国や自治体の在り方を変えていく必要性を痛感。 》 鈴木剛
https://twitter.com/jcuf_t_suzuki/status/1477386445249998848

《 ウクライナ関係のニュースが流れて来て、画面に、米副大統領が映り、EU委員長が映り、ロシア副首相が映り、、、全員女性なんだよなぁ、ごく普通に、次から次に 女性が出てくるんだよなぁ、、、。 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1477454157653364736