『100杯目の水割り』

 東君平『100杯目の水割り』講談社文庫1979年初版を再読。仕事などで出会った人たちの肖像スケッチ集。いつ読んだか忘れたが、再読してさらに興趣が湧く。 三島由紀夫檀一雄水上勉文人、写真家の土門拳、画家の谷内六郎、平賀敬から無名の人たち。短い文章で、彼の切り絵のように特徴をさらっと描写する。 じつに見事。「谷内さんち」の章。

《 谷内六郎さんちに最初お邪魔したのは僕が二十三の頃で確かハガキを戴いてそこに書かれてある地図を頼りに世田谷の砧にあったお宅へたどり着いた。 》 22頁

《  ところがそれから一週間も経たないうちに新宿の伊勢丹デパートから人が来た。(中略)
  「実は谷内先生からこんなおハガキを頂戴致しまして」(中略)
  ここの住所にこんな人が居てしかじかかくかくの絵をどっさり持っているから、個展をするよう働きかけなさい、といった内容だった。 》 22-23頁

《 それで夏になって個展を開いたら係の話しだと十日間に数万人の入場者があって絵は売れなかったけれど画廊と同じ階の万年筆売場やレコード売場の売上が倍増して 個展は大成功だったらしい。 》 23-24頁

《 この時の模様は岡潔さんが「紫の花火」という随筆の中に短い文章だけれど書いていて下さっている。 》 25頁

 『紫の火花』の誤記ではないかな。昨日記した「1963年の展覧会」が、これ。昨日挙げた三島由紀夫『愛の疾走』1963年1月20日刊については「三島さんち」で。

《 三島由紀夫さんちへ行ったことがある。 》 52頁

《 僕がその時に書いた絵は八ツ手の葉っぱが画面の右上から斜めにザーッといった感じでたれ下っている図柄で著者もその絵を気に入って下さって編集部の人を通して 僕のところへあの絵を呉れと云ってこられた。 》 52頁

 「壇さんち」では愚痴を吐露している。

《 僕がさし絵の仕事をやめた理由は二ツあって一ツは金銭的に出版社からあまりにも軽々と扱われるということで、いつどうやって誰が決めたのかわからないような 金額がある日チャリンという哀れな音を伴って送られて来て、それがこちらの仕事を続けてゆこうという熱意に水を差すような中身でアホ臭くてやってられない。 》  45頁

《 ニツ目の理由はこちらの生活は作家先生のペンの走り具合次第。日曜も祭日もあったものじゃない。 》 46頁

《 その点でいえば文字を書く人は二度も三度もおいしい思いをする。 》 48頁

《 さし絵は一回のお支払いでチョン。 》 48頁

《 僕のさし絵の世界での愚痴は、この壇さんち通いの頃から始まったといってよいと思う。 》 49-50頁

 ネット、いろいろ。

《 積んでおいた本はいずれ崩壊し、場合によっては落下して多大な被害をもたらすことがある。もっとも有名な例は1908年6月にシベリアでおきた「ツンドークカ大爆発」 である。 》 Y Tambe
 https://twitter.com/y_tambe/status/1078182054758498305

《  omnivalenceさんが最も失ってはいけないもの上位5つ 肝に銘じます。

  1位【羞恥心】

  2位【慰めてくれる人】

  3位【人としての心】

  4位【努力】

  5位【職】 》 清水高志
 https://twitter.com/omnivalence/status/1077799641482027008

《 まあ、ちょっと近年でも公のメディアでは見られないような剥き出しのネオリベ全開なことを落合×古市が言うとるんで右下のあたりだけでも読んでみ? 文学界がこれ載せたんだよな? 》 dada
 https://twitter.com/yuuraku/status/1078168874116296704

 《 想像力と、加えて身体性の欠如に絶望する。 》と小説家磯崎憲一郎文芸時評。落合陽一に対して感じた違和感のもとはこれだった。

《 安倍晋三さん、クジラのことなんか後回しでいいから、まずは半年前にあれほど鼻息を荒くして「私が北朝鮮のトップと直接対話して拉致問題を解決する!」と 公言した件、アレをちゃんと実行してください。そうじゃないと貴方は「空手形ばかり乱発する詐欺総理」になっちゃいますよ。 》 きっこ
 https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1077898299028328448

《 年末最後の燃えるゴミの回収が終わった後で、「ああっ、こんなとこにまだゴミが!」てのを発見し頭を抱えるまでが恒例行事。 》 大矢博子
 https://twitter.com/ohyeah1101/status/1078476624624967680