『四方対象』第二章

 グレアム・ハーマン『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』人文書院、「第二章 感覚的対象」を再読。初読の時には何を理解したのだろうと考えてしまう。 わかっていなかったことをわかった。理解できたとは到底いえないけど、備忘録として気になる箇所を書き留めておく。

《 フッサールがその偶有性と本質的性質とに分極された志向的対象を明示的に示しているのに対し、ハイデガーは、同じ分極を、実在的対象について、暗黙裡に 示している。 》 38頁

《 塔はつねにある特定のプロフィールを通じて出会われる。このことを、フッサールは射影と呼んだ。だがこの射影は、それが現れさせる志向的対象と同じものでは ない。(中略)対象とは、その内容が何度も絶え間なく変化するにもかかわらず、つねに同一であり続けるものなのだ。 》 44頁

《 強調すべきは、志向的対象は射影の束ではない、という点である。(中略)対象は、私たちへのその可能な現れを足し合わせることによって得られるものでなく、 それらの射影を差し引くことによって得られるものである。 》 44頁

《 しかし私は、「志向的」という用語の無菌的な不毛さを避けるため、同義的な表現として感覚的対象という用語を用いることにしたい。 》 47頁

《 言い換えれば、フッサールがそこで、感覚的なものと知的なものを区別したのは誤りだったということだ。というのも、感覚的直観とカテゴリー的直観は いずれにせよ一定の形態の直観なのであって、何かを直観することはその何かであることと同じではないからである。それゆえ、対象の形相的特徴というものは決して、 知性を通じて現前させられるものではなく、芸術であろうと科学であろうと、ただ暗示という間接的な手段によってのみ接近可能なものである。 》 49頁

《 典型的な実在論者と典型的な観念論とには、対象という中間的水準をスキップしてしまうという共通の傾向がある。 》 53頁

 書き写していて思い出した。十五年ほど前にブログを始めた頃は「月に吠える」というある意味悲壮な意気込みだった。今は気軽に行方知れずな「虚空に呼びかける」。

 ネット、うろうろ。

《  あ 赤い博物館
  け 煙の殺意
  ま 招かれざる客たちのビュッフェ
  し 刺青殺人事件
  て 帝都探偵大戦
  お お楽しみの埋葬
  め 迷路館の殺人
  で デス・コレクターズ
  と とむらい機関車
  う 歌うダイアモンド 》 tokyo-zodiac
 https://twitter.com/machodolagon/status/1080478591769489408

 所蔵していない本は『赤い博物館』『帝都探偵大戦』『デス・コレクターズ』『歌うダイアモンド』。では、私も。所蔵から。

  『赤の組曲土屋隆夫
  『検察審査会の午後』佐野洋
  『まぼろしの凶器』草野唯雄
  『死のある風景』鮎川哲也
  『天河伝説殺人事件内田康夫
  『女囮捜査官』山田正紀
  『銘のない墓標』陳舜臣
  『D機関情報』西村京太郎
  『棘のある樹』仁木悦子
  『裏切りの明日』結城昌治

《  1月4日は夢野久作山田風太郎の誕生日なのか(@_@)33歳違い。そういえば中井英夫さんと僕が同じ9月17日で32歳違い。。
  ちょっと調べてみると、小栗虫太郎と、『ドグラマグラ』の正木博士のモデルであろう精神科医呉秀三の誕生日が同じ3月14日。 》 竹本健治
 https://twitter.com/takemootoo/status/1081094963482419201

《 山本太郎氏の厳冬の炊き出しを「売名だ」と言う人がいる。杉良太郎氏の「売名ですけど、それが何か?」という名言を知らぬのか。 およそ人の行為はすべて売名であり、山本太郎氏の売名によって炊き出し先の団体の名が売れ、寄付が集まって続行可能となれば、 それを求める人には何よりの幸いではないか。 》 立川談四楼
 https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1080666246968832000

《  風車は壊れても放射能出ないから風評被害は出ない
  風車なのにwww 》