『ことばの政治学』(閑人亭日録)

 永川玲二『ことばの政治学筑摩書房1979年初版を少し読んだ。表題作の内外の政治情勢の複雑怪奇な歴史の見取り図を、実体験を交えて軽快、簡明に描き出す手腕に脱帽。 半世紀近く前の発表だけれど、全く古くない。

《 党の会議や政治集会での発言はすべてロシア語だけときめたり、土地の言葉による新聞・雑誌や教科書には紙を配給しなかったり。地元の党員が抗議すると、たちまち 除名、逮捕される。
  それがモスクワの方針なの?
  おもてむきはともかく、裏では一貫した方針だね。フルシチョフ時代のはじめに雪どけ政策の一環として、少数民族の苦情にも理解ある態度をみせようとした時期がある。 だけど、結局うわべだけで、実情はますますひどくなった。 》 14頁

《 地元の人間を僻地に強制移住させ、中央部からどんどんひとを送りこんで、少数民族共和国の人口構成そのものから変えてかかるんだから凄いよ。 》 16頁

 半世紀ほど遅れて中国がやらかしている。

《 バクーニンは一八六一年(文久元年)にシベリアの流刑地から脱走し、日本、アメリカをへてロンドンにたどりついた。
  そのころ日本では対馬にきたロシア軍艦ポサドニーク号が兵隊を上陸させて島ぜんたいの占領をくわだて、イギリスの軍艦二隻がそれを追っぱらってくれたばかり。 まさに激動の時代である。アメリカではチャールストン要塞の攻防戦をきっかけに南北戦争がはじまったところ。ミシシッピーで水先案内をやっていた二十六歳の青年が 戦争のせいで失業し、<水深二尋に注意(マーク・トウェイン)>というペンネームで小説などを書きはじめる。(十八歳のヘンリー・ジェイムズはそのころ奇妙な事故で 腰骨をいため、おかげで兵役をまぬがれた。もし兵隊になっていたら、<インターナショナル・シテュエイション>を得意とする作家ジェイムズは生まれなかったかも しれない。トウェインの場合を思いあわせるとアメリカ文学にとって一八六一年はまことに幸運な年である。)
  バクーニンが到着したころ、ロンドンでは、彼の旧友マルクスらが第三回万国博をきっかけにインターナショナル・ワーキングメンズ・アソーシエイション(いまで言う 第一インターナショナル)結成への準備をすすめている最中だった。 》 48頁

 源兵衛川の流水量が下がってきたので朝、中流部のかわせみ橋周囲の、先だってまでは踏み込めなかった土手の雑木を刈る。土のう袋二袋に詰める。軽く汗。帰宅。 コーヒーが旨い。

 ネット、うろうろ。

《 静岡県知事「JRは傲慢」 リニア環境アセス巡り資料開示不十分と指摘 》 毎日新聞
https://news.yahoo.co.jp/articles/4e7245d815540a508d01116f964921ec962a1a50

《 憲法15条の公務員の選定罷免の権利が国民の基本的人権に規定されていることの意味を考えるための材料。この権利は、総理大臣のために働かない官吏をくびにする のではなく国民のために働かない官吏をくびにする権利。憲法15条から首相の無際限の公務員任免権を引き出すなど、論理の飛躍もいいところ 》 山口二郎
https://twitter.com/260yamaguchi/status/1326196316590927872

《 日本政府にしても、専門家にしても、知事にしても、コロナ対策はテレビの気象予報士みたいなことしか言わないね。

  今日は傘を持っていったほうが安心ですね(にこり)みたいな。 》 中野晃一 Koichi Nakano
https://twitter.com/knakano1970/status/1326290191573639168

《 第538回:アメリカ大統領選と、法廷でトランプ礼賛を続けた植松死刑囚。の巻 》 雨宮処凛
https://maga9.jp/201111-1/

《 太陽や月に薄い雲がかかった際に周囲にできる光の環を光冠と呼ぶ。ノルウェーの北部で見られた、月の周囲にできた多重の光冠の写真。 https://bit.ly/3kihggU 重なった環がここまで明瞭な事例は珍しい。撮影者は同国の Anders Hanssen 氏で、フィルターは未使用、複数の写真の合成でもないとのこと。 》 Oguchi T/小口 高
https://twitter.com/ogugeo/status/1326169396708929538