『芸術人類学』十一(閑人亭日録)

 中沢新一『芸術人類学』みすず書房2006年4月15日第2刷、「IV 歴史との再会」の「友愛の歴史学のために」を読んだ。彼のおじさんの歴史学者網野善彦の業績の紹介から始まる。

《 自由をめぐる思想のビジョンは、網野史学の核心部分に深く埋め込まれています。そして、そのビジョンがはじめて大きな姿をあらわしたのは、『無縁・公界・楽』という研究においてでした。そこで日本の歴史学においてはじめて、「自由」の主題が「進歩史観」とは違う視点から、大きな可能性を秘めて浮上してきたのでした。しかし歴史学者の多くは、そこにあらわれた新しい思想の可能性を黙殺しようとしました。 》 336頁

《 しかしそれがほんとうの意味での「民衆史」となるには、たんなる実証的な研究を越えた、ある種の抽象力がなければなりません。「非農業」という概念は、たんに職人についての実証研究を積み重ねていけば、自然にあらわれてくるようなものではないのだということを、私は強調したいのです。 》 345頁

《 そして私の考えでは、「非農業」概念の歴史的研究への導入は、日本人の精神史を書き換える可能性さえ秘めています。それは今日の話の主題でもある「自由」ということに深く関わっています。 》 352頁

《 プライマルな貨幣は、社会に公正をつくりだすことを目的としています。プライマルな都市は、自由なトポスをめざしていたはずです。
  近代を生み出したこうした諸テーマのすべてが、「人間的自由」の実現の試みとその致命的な挫折に深く関わっています。資本主義の発生は「人間的自由」の可能性を宿した人類の脳の構造の必然であるのに、なぜそれは私たちの世界から公正さやよろこびを奪うのか。都市の発生もまた必然であるのに、なぜそこに現実となっている「自由」は、こうも不公正ばかり生むのか。 》 374頁

 中沢新一の思想の背景が見えてくる。『芸術人類学』読了。「まえがき」を再読。共感。

 昼過ぎ、昼前に買った長靴を履いて源兵衛川上流、蓮馨寺(れんけいじ)横の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなって終了。帰宅。軽く汗。ふう。

 ネット、うろうろ。

《 青森のバス、乗車ドア開いたら雪がなだれ込んできて閉まらなくなったらすぐに運転手さんが道具持ってきてガッガッてやり始めて手慣れてるなあと感心した 》 階段巡りツイッター
https://twitter.com/kaidanmeguri/status/1618394615757025280

《 森元首相「(日本とロシアとの関係を)せっかく積み立ててここまで来ているのに、こんなにウクライナに力を入れてしまっていいのか」

  安倍さんがロシアに北方領土まで捧げたのも全部ただの失敗だったんだよ。 》 町山智浩
https://twitter.com/TomoMachi/status/1618373623705907200

《 民主党政権時代、鳩山首相売国奴呼ばわりして小野寺は国賊と呼び、何度となく北方領土竹島を日本の領土かと質問し、日本の領土だと言わせては答弁を冷笑してた自民の連中が、安倍内閣北方領土交渉に失敗した途端に北方領土を日本領と言わなくなり、話題すら避けて無視するようになった(´・ω・`) 》 ゆっくり零仁
https://twitter.com/LHqK83CIm2Y8AGf/status/1618403295319691265

《 安倍内閣以降の政権が国会軽視なのは間違いないですよね。閣議決定で重要な決定ができるというのは、戦前に重要な文書が勅書(国会を経ない)の形で出されたのを彷彿とさせます。 》 kubo soichiro
https://twitter.com/fuhkyo/status/1617841901973164032