『現代美術逸脱史』再読 二(閑人亭日録)

 千葉成夫『現代美術逸脱史 1945~1985』晶文社一九八六年三月二十日初版 一九八九年五月三十日四刷、「第一章 「具体」─アンフォルメル─「反芸術」」の「I 批評の推移」を再読。深い分析だ。

《 敗戦直後の十年間はここでの考察の対象外にある。 》 16頁上段

《 したがって、第一に欧米信仰の温存ないし存続、第二に表現じたいの水準にたいする自覚の欠如、主としてこのふたつの理由によって、敗戦後の十年間は美術の現在にとっては前史をなすものに終始したといわなければならない。いま例にあげた河原温の作品群の創作されたのがこの十年間の最後の頃にあたっていることは、象徴的と言ってよいかもしれない。 》 20頁下段

《 こうして、批評は状況をとらえきることができないまま、一九六○年代の初頭がすぎようとしていた。そのとき登場してきたのが宮川淳だった。 》 37頁下段

《 宮川淳の批評は、一方で批評言語として「表現の次元から表現論の次元へ」という要請をになったみごとな達成をなしとげ、またアンフォルメルから「反芸術」にいたる動向に関してするどく深いほりさげをしめした。しかし他方、日本の美術の固有の文脈にたいする視点を決定的に欠落させていた点で、状況の最深部をついにとらえられなかったのである。 》 44頁上段

 朝、源兵衛川中流、三石神社横の茶碗のカケラ、ガラス片を拾う。重くなり終了。帰宅。汗~。

 ネット、うろうろ。

《 プランバナン寺院。

  9世紀に、どうやって作ったか、わからない、という。 》 Koichi Kawakami, 川上浩一
https://twitter.com/koichi_kawakami/status/1620956156545077249

《 徳丸先生が「バッハやベートーヴェンも西洋人の民族音楽に過ぎない」とおっしゃっていたのは、改めて本当にその通りだと思う。もっと言えば、歴史上〈ある一時期〉の民族音楽に過ぎないのです。 》 DDC_violoncellista
https://twitter.com/DDC_violoncelli/status/1620723426116907009

《 毎日のように訃報や疾病の報せが届くのは辛い。生老病死が自然の摂理で人は生まれた瞬間から死に向かって一歩ずつ歩き出しているのだとしても俄には受け容れ難い。現行パンデミックが私たちに心身の不和や死への親和性をもたらす災厄なら今・生きて・在る生命を言祝ぐ唄の力を一瞬たりとも忘れまい。 》 off note
https://twitter.com/offnote_info/status/1620585615820750855

《 社会を変えないといけないのだがこういう輩がずっと邪魔をしている。心の底から腹立たしい。

  首相、同性婚に否定的な考え 「社会が変わってしまう」 | 共同通信 》 T-T
https://twitter.com/tcy79/status/1620741147076481026

《 世襲を当然視してるような総理に

  変化著しい世界でのかじ取りなんて、無理ですよね 》 buu
https://twitter.com/buu34/status/1620971504593940480

《 (ここらで、平成天皇より存在感を発揮できてない令和天皇が万一「家族のかたちは様々であって良いと思う」などと言ったりしたら、リベラル派大喜びで岸田形なしだ) 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1620943199006244866