美女 悪女 戦争(閑人亭日録)

 美女といえば井川遥北川景子らが浮かぶ。悪女というと、国会議員しか思いつかない。情報収集能力不足というか想像力の貧困というか。ま、高齢者はこんなものだろう。本棚から『別冊太陽 スクリーンの悪女』平凡社1991年1月7日発行を抜く。副題「愛と破滅の世界」。表紙はキャスリン・ターナーマリリン・モンローをはじめ、ずらっと並んだ悪女じつは美女たち。とりわけフランソワーズ・アルヌールは、青春のヒロイン。か弱そうな小悪魔。彼女のためなら破滅しても本望。おバカだねえ、若い時の私。
 https://yurikoariki.web.fc2.com/francoisearnoul.html

 渡辺武信「残酷な美女たちの神話」では悪女を、エキゾティズム型悪女、娼婦型悪女、悪妻型悪女、暴君型悪女の四つの型に分類。そして結ぶ。

《 換言すれば、美しい女はそれだけで、どこかに悪女の素質を隠し持っているのだ。日本には「佳人薄命」という表現もあるが、それは実は嘘で、少なくとも映画の世界に関しては、一九二六年のグレタ・ガルボの主演作”The Temptress ”の古めかしい邦題である『明眸罪あり』ほうが真実なのではなかろうか。 》

 東京新聞、文化欄、保阪正康ウクライナ侵攻と新たな戦争論」が読ませる。

《 ロシアは、この戦争に勝っても負けても、ウクライナ国民から何世紀にもわたって、怨嗟(えんさ)と憎悪の目で見られるだろう。ロシアの「属国」にするという戦争目的は、既に崩壊してしまっているのである。私が戦争のテーゼ(命題)を見直さなければならないという意味は、こういうことだ。 》

《 「政治の延長で戦争を選択した段階で、それは敗者を意味する」との戦争論が必要になっていると、私は考える。
  政治的な意思を押し付けるのに戦争を用いたら、目的を遂げることはない、と考えるべき時代に入っているのだ。 》

《 今回の侵攻が、私たちに突き付ける根本的課題を冷静に考え抜くべきである。 》

 昼前、源兵衛川中流、下源兵衛橋上流で茶碗のカケラ、ガラス片などを拾う。重くなって終了。源兵衛川を愛する会初代会長が両手に杖をついて来る。やっと歩けるようになった、と。四方山話。帰宅。汗ばむ。紅茶を淹れる。おいしい。ふう。

 ネット、うろうろ。

《 前も書いたように、ここに「多様性」という言葉を付与するのは適切ではない。私たちは一様に、性においては不自由な身分。 》 大野左紀子
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1633606540958760960

《 もし、報道機関の矜持があるなら、報道の自由を取り戻すこの問題で〈(政府側)は…かわした〉などと書いてほしくない。

  “「放送法の私物化。(新たな)解釈は撤回すべきだ」。立憲民主党小西洋之氏は8日の参院予算委員会で追及…。松野博一官房長官は「精査中」とかわした。” 》 jibanndouji
https://twitter.com/jibandouji/status/1633678518080147457