『新・空海論』二(閑人亭日録)

 竹村牧男『新・空海論』 仏教から詩論、書道まで』青土社2023年6月30日第1刷発行、「第二章 もう一人の師・般若三蔵」を読んだ。

《 この「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」の句は、空海の永遠の願を説くものとして、かなり有名な言葉だと思います。言うまでもなくその意味するところは、我が願は尽きることがありえないとの覚悟です。 》 86頁

《 前にもふれましたように、般若三蔵は自分が訳した四十巻『華厳経』を空海に授与しつつ、思い入れをこめて日本に持ち帰り広めよと語るのでした。 》 89頁

《 そうしたことを考慮するとき、空海のかの「高野山万灯会の願文」の「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」という「我が願」は、実はこの般若三蔵訳『華厳経」に出る普賢菩薩の十大願を基礎としたものであったと考えられるのではないでしょうか。 》 91頁

《 以上、般若三蔵の訳業と空海の思想との関連について、いささかまとめて記しておきました。ここに述べた事情からすれば、空海は恵果阿闍梨のみならず、般若三蔵からも大きな影響を受けていたことが知られたでしょう。とすれば、空海における般若三蔵への深い思いをも、けっして軽視すべきではないと思われます。空海は般若三蔵が訳出した諸経の教えも巧みに取り入れて自家薬籠中のものとし、それを『大日経』『金剛頂経』等と調和させ、空海自身の密教の世界を構築していたのでした。 》 94頁

 お盆。昼過ぎ、副住職来訪。読経。四方山話を少し。