『新・空海論』(閑人亭日録)

 竹村牧男『新・空海論』 仏教から詩論、書道まで』青土社2023年6月30日第1刷発行、「第一章 長安往還の旅について」を読んだ。
 http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3804&status=published

《 空海は、宝亀五年(七七四)、四国の讃岐国多度郡に生まれたと伝えられています。そこには現在、善通寺が建立されています。令和五年(二〇二三)は、弘法大師誕生一千二百五十年の記念の年になります。 》 18頁

 空海三十一歳、八〇四年七月に唐へ渡る。

《 この四隻の船団の中国行きはさんざんなものでありました。(引用者・略)
  空海の乗った船も、暴風の影響により三十四日間漂流し、南方福州(現在の福建省)の港にようやく辿りつくことになります。 》 25頁

 それからも長安まで長い旅程。

《 空海らは、四二〇〇キロの旅程を、十一月三日から十二月二十一日までの四十九日間で全うしたのであり、平均すると一日約九〇キロ進んだことになります。船旅の部分も多く、それは昼夜、停まることはなかったでしょうから、それでこのような速さで到達し得たのでしょう。 》 31頁

《 空海は、予定を変更し、この年(八〇六)の八月に帰国の途につきますが、これは恵果が、早く日本に帰って密教を広めるように、と諭していたことによるものと考えられています 》 20頁

《 空海は本来、二十年ほども中国に滞在して、当地の情報を日本に送るという所期の目的を達成すべき留学生の身分なのでした。それが、大幅に期間を短縮して帰国するとは異例のことであり、法を犯すことになります。しかし空海としては、この際、ぜひとも帰朝を果たすことしか考えられなかったでしょう。 》 20頁

 そして帰路。

《 しかしながら、この復路もまた、難儀をきわめたようです。(引用者・略)
  よほど海が荒れたこともあったのでしょう。しかし何とか日本に密教経典や曼陀羅等、貴重な文物を無事、持ち帰ることが出来たのでした。》 50頁

 一千年以上前のこと。どんな苦難にあっても僥倖が差す。強運というか恵まれた才能というか。凄い人だ。それにしても、そんな記録が遺っているとは。

 この記事は知らなかった。北一明の耀変茶碗をこれで見たい。

《 見る角度や光の当たり方により色が変化する「構造色」を高精細8Kの3DCGで表現する手法を開発 》 SHARP
 https://corporate.jp.sharp/news/220314-b.html