『新・空海論』十一(閑人亭日録)

 竹村牧男『新・空海論』 仏教から詩論、書道まで』青土社2023年6月30日第1刷発行、「第十章 空海の書の境涯」を読んだ。

《 空海はどこまでも書の源流、字の源流にさかのぼって、書を書くことの意味を追求していたことがわかります。 》 460頁

《 空海の書は、最終的には、その密教との関係において把握されなければなりません。 》 467頁

 「おわりに」を読んだ。

《 ・曼陀羅の本義とは絵図のことではなく、諸仏諸尊等それぞれの四種曼陀羅が渉入する、立体的・動態的・多重的な世界そのもののことであること
  ・それは宇宙の様子なのではなく、自心の源底にあるのであり、それが秘密曼陀羅および秘密荘厳にほかならないこと 》 470頁

《 中でも強調したいことは、曼陀羅についてである。曼陀羅というと、しばしば宇宙の様子を描いたものと解説されるが、けっして絵図が曼陀羅なのではない。(引用者・略)そのように、空海曼陀羅には本来、二重構造があるのであり、かつその各身(個体)活動は、「互相に加入し、彼此摂持」(すなわち加持。『即身成仏義』)しているのであって、そういう、立体的・多重的世界こそが曼陀羅なのである。 》 471頁

 竹村牧男『新・空海論』 仏教から詩論、書道まで』、読了。いつか再読するだろう。

 三十年前、北一明に頼まれて書いた拙論《 創造の「書」 「書」の創造 》。『北一明カレンダー』1994年版、最後の頁に掲載された。
 http://web.thn.jp/kbi/kitashoron.htm