奥野克己・清水高志『今日のアニミズム』以文社2021年11月30日 初版第1刷発行、清水高志「第二章 トライコトノミー Trichotonomy (三分法)、禅、アニミズム」を読んだ。じつに密度の濃い文章。簡単なメモだけ。
《 いましばらく、レヴィ=ストロースのよく知られた主張に耳を傾けることにしよう。 》 58頁
《 そもそも彼によれば、このようになんらかの二項対立をまず想定し、それら両極のいずれにも事態をけっして還元することなく、さらにさまざまな二項対立をそこにくみあわせることによって、それらの対立を調停したり、変換する思考は、人類にとって普遍的なものだという。──むしろ確定的な諸要素が組み合わさって「要素間の関係が次第に出来あがる」といったように、《なんらかのプロセスを通じて、二項対立の両極を一方の極へと統合し、調停する》という発想や、また《なんらかの二項対立関係をそれら単独で調停し、そのその調停方法を他のあらゆる二項対立関係に適用する》といった思考こそが、還元主義的で例外的なものだ。 》 59頁
《 ──さまざまな二項対立について、その高次の結びつきそれじたいに可変的なヴァリエーションがありうるということが意識されないかぎり、近代哲学の議論においてすら、こうした主体優位の二元論と、対象と自然の切り離しという状況はますます強化されていくだけなのだ。 》 65頁
《 科学の対象を関係づけ、記述する主体が、その主体と切り離されてもともと存在している対象についての知識を得ていくのが科学であるという近代人の思考は、実はその過程において起こっているさまざまな複雑な主体と対象の交錯、一と多の交錯を隠蔽しており、実態とは大きくかけ離れたものであるといわざるを得ない。 》 71頁
《 すでに述べた内と外の包摂関係は、包摂した外のものがさらに外のものに包摂されるといった、特定の方向づけ、プロセスを描くものであってはならない。 》 77頁
《 包摂関係は、物理的なスケールとはまったく関係がない。 》 77頁
《 先の二種の二項対立に、三種類目の「内/外」という二項対立が組み合わさることによって発生するのは、次のような事態である。
I 内にも外にも(一方的に)還元されない独立した対象が分離される。
II その対象をめぐって、「一が多を包摂し、多が一を包摂する」というかたちで、「多/一」という二項対立の調停が、その対象の内部にも外部にも同時に、あらゆるスケールと方向において拡張される。
III さまざまな状況に非-依存的な、独立した「今」の状態の併存、それら端的な「今」どうしの、シンクロニシティーの状態が生じる。
自覚的、段階的にここまでの局面にまで展開する思考を、ここでトライコトノミーTrichotonomyと命名することにしたい。 》 80頁
《 ここで語られていたのはまた、そもそも生についてであった。「生はわが生ぜしむるなり、われをば生のわれならしむなり」とあるように、「ふね」はそもそも「生」の喩えなのである。「心身依正(しんじんえしょう)」というのは、心身および主体とそれをとりまき、それが拠りどころとする環境のことであるが、「生」はまずこうした主客混淆的な、環境と一体のものとしてある。そうしたまずもって暫定的な恒常性が「生」なのだ。それがここでは「舟の機関」になぞられており、さらに「尽大地・尽虚空、ともに舟の機関」であるようにして万象のうちに包摂されている。「生なるわれ、われなる生」もこのように全宇宙のいのちのうちにあり、かつ独立しているわけである。 》 87頁
これだけの引用では、なんだかわからんだろうな。ま、私のためのメモ。