『今日のアニミズム』再読・三(閑人亭日録)

 奥野克己・清水高志『今日のアニミズム以文社2021年11月30日 初版第1刷発行、奥野克己×清水高志「第三章 対談 I」を読んだ。

《 清水 近年、哲学や人類学などの学問はどちらも大きく様変わりしてきていますね。その変化を突きあわせるようにして考察しないと、分からないことが沢山でてきた。個別に考えるには問題が大きくなりすぎて、人類学の奥野さんのお知恵を借りなければいかんともし難いところに来ています(笑)。 》 102頁

《 清水 そんなわけでアトミズム的な世界観というものは、ヨーロッパの近代科学の特殊な前提のうちでしかおそらく成立しない。 》 104頁

《 清水 そうした状況のうちで到来する劇的な「何か」が、アニミズムなんじゃないかと私は思うんです。近代的な価値観の前提よりも、非アトミズム的な世界の方がむしろ包括的なのだということになると、さまざまな条件が変わってくる。それを考える一つの鍵がアニミズムなのではないか。 》 105-106頁

《 清水 アニミズムはさまざまな宗教、アート、文芸、芸能の核であり、今日もなおそれらの「種(たね)」である。伝統的には仏教的なエコロジーというか、生態系のようなものが絢爛と思い描かれてきたわけですが、アニミズムという核まで遡行することで、そうしたものも今後まったく新しい表現を得るかもしれない。人間が自然と出逢ったり、響きあったりするための感受性が、今日非常に衰弱している。「アニミズムを本物の宗教にしていく」ということは、芸術や、ポリティカルな態度や、倫理や、そうしたものをすべて刷新することでもあると思うんです。 》 160頁

《 奥野 アニミズムは、このような人間と動物の距離、あるいは動物に限定せずに、人間とモノとの距離感を改めて再考するように私たちに求めているのだとも言えます。 》 162頁

《 奥野 マルチスピーシーズ人類学は、まだ誰もはっきりと言ってませんが、無自性や無我というような、自己そのものを前提にしないところから出発する。 》 173頁

《 奥野 ようやくそこにマルチスピーシーズ人類学的な動きが出てきたんです。つまり、「人間とは何か」と問うときに、複数種との関係において考えるというような発想へと抜けていくことで、ようやく実体のないもの、自己のようなものが初めからあるわけではないところ、社会や文化というものが最初からあるわけではないところに踏み込み始めたのです。逆に言えば、どうしてこれまでそれに気がつかなかったのかが、実は大きな問題なのかもしれません。 》 174頁

《 清水 もはや文化的にはすでに少数民族になってきている。逆にいうと、単なる頭数なんかどうでもいい。ポストモダンを超えるとかそんな話ではなく、アニミズムや仏教を包摂して、自分の仕事もこれまでの西洋思想にないかたちを採って、文明の定礎を試みないといけない。そうでないと、この行き詰まりを抜け出すことは難しい。そんな風に考えていますね……。 》 175-176頁

 すごく納得。