昨日再読を終えた安藤礼二『縄文論』作品社を読んでいて、味戸ケイコ、奥野淑子(きよこ)、北一明(かずあき)そして白砂勝敏の作品が思い浮かんだ。
http://web.thn.jp/kbi/ajie.htm
http://web.thn.jp/kbi/okuno.htm
http://web.thn.jp/kbi/ksina.htm
https://shirasuna-k.com/
分野も作風も異なる四人。生(なま)の自然に抗うことなく、”心身に深く沁み込んだ、生(なま)の自然との親和”を維持している人たちだ。そんな人は他にはほとんどいないのでは、と思う。現在の生活環境のもとではいないと思う。昨日の岡本太郎も、”心身に深く沁み込んだ、生(なま)の自然との親和”はない、と彼の絵を見て私は思う。この四人は、流布している美術史の圏外に位置しているように思える。美術史、特に印象派以降の美術史は、表現技法の変遷の羅列のように見えてしまう・・・。対して数千年の時を経ても色褪せない強力な魅力を放つ縄文土器。四人の作品は、縄文への遥かな呼応のようにも思える。四人は自覚していないだろうが。味戸ケイコは椹木野衣編集『日本美術全集 第19巻 戦後~1995』小学館に収録されているが、他の三人は、いわゆる美術専門雑誌に記事が掲載されたことを、私は管見にして知らない。数年前、某版画雑誌の編集長が我が家に小原古邨の木版画を撮影に来た時、奥野さんの木口木版画を見せたら仰天。「電話してください」。雑誌の広告には作品が載っていたんだけどねえ。私は案内葉書を見て、銀座の貸画廊へ初日に行った。初個展に寝坊して遅れてきた奥野さんと話していると、年配の紳士が来訪。月刊美術雑誌の広告で見たと言う。あの小さな画像で。ほお~。「わたしは一番高いのを買う」。私は小さいものを購入。以後、作品を購入している。k美術館にも来訪。
https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/20070323/p1
https://k-bijutukan.hatenablog.com/entry/2021/11/25/200204
なお、奥野さんが瞠目した小原古邨の木版画『夜桜に烏』は、『小原古邨木版画集』阿部出版2018年12月15日初版第1刷発行には「編集の都合で」掲載されていない。
http://web.thn.jp/kbi/koson.htm
今、気がついた。奥野さんはおそらく、この『夜桜に烏』に触発され、A4版大の木口木版画『melodist』を制作した。
ついでに。『小原古邨木版画集』阿部出版、小池満紀子「小原古邨 その生涯と作品」218頁左(横書き文)の”高橋省亭”は、”高橋松亭”(省→松)の誤り。近くの佐野美術館に古邨展が巡回したとき、彼女の講演を聴いたが、このことを指摘するのを忘れていた。恥をかかせることではない。