「渡邊白泉句集」続き(閑人亭日録)

 『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集』朝日文庫 昭和60年5月20日 第1刷発行、収録「渡邊白泉句集」後半を読んだ。私的に印象深い句をいくつか。

  鶯やくりまつかしはくぬぎなら
  頂上で靴下を脱ぐ花の山
  地平より原爆に照らされたき日
  行春やピアノに似たる霊柩車
  冬潮の引くや小石の音の列
  をさなごの象にふれたる声麗ら (三島楽寿園
 後半の「拾遺」には戦場の俳句がずらりと並ぶ。重い。
  名月や動くものなき瓦屋根 (昭和二十一年)
  滑り台巨きくなつてくる子供 (昭和二十三年)

 『富澤赤黄男 高屋窓秋 渡邊白泉集』の大岡信「究極の影像を索めて 高屋窓秋小論」から。

《 高柳重信は新興俳句が弾圧によって壊滅した時期に俳句の世界に入った人だが、この運動の遺産を真っ向から受け継いだ最も重要な戦後俳人だったろう。もちろん他に、三橋敏雄や鈴木六林男といった面々もいたけれど、何といっても高柳重信が声をからさんばかりに論陣を張らなかったなら、富澤赤黄男にせよ渡邊白泉にせよ高屋窓秋にせよ、現代俳句の中で今日のような地位を占めることは難しかったのではなかろうか。少なくとも私自身の体験に即していえば、事態は右のように考えられる。 》 122頁

 重要な指摘だ。