『疑問符を存在させる試み』(閑人亭日録)

 映画『ゴジラ マイナス ワン』
 https://www.youtube.com/watch?v=x7ythIm0834
から連想するのは、大岡信『芸術マイナス1』。昨日の大岡信「窓に光を 戦没学生の手記について」を読んだ後では、連想が離れない。
 『大岡信著作集 第四巻』青土社昭和52年発行に収録の「『芸術マイナス1』(新装版)あとがき」から。

《 初版あとがきで、私は、次のように書いていた。記念のために写しておきたい。
  「ぼくの現在の気持は冒頭の『疑問符を存在させる試み』の中に集約されるといっていいかもしれない。他の文章は、この文章の混乱に至るための様々な段階だったといえるかもしれない。つまりぼくは、今、見通しの少しもきかない地点にたっている。それがぼくの、詩を書き、エッセーを書く立場にほかならない。しかし著者としてみれば、どんなささやかな文章の中でも言うべきことは言っていたと考えたいものだ。同時代の芸術についてのこれらの試論の中に、何らかのポジティヴな像が見てとられ得るならば、著者にとっては大きな喜びである。 」 》 528-529頁

 元本の十年後、1970年に出た新装版から抄録した『大岡信著作集 第四巻』には、『疑問符を存在させる試み』(一九六〇・一)は収録されていない。続く『芸術マイナス一』(1ではなく一)も収録されていない。元本で読んだ。驚嘆。なぜ、収録されなかったのか、全く不思議だ。全部引用したいが、例えばこの一節。

《 少なくともぼくの夢の中では、小説は完結しないもの、完結できないものとして書かれ、打消される。なぜなら、この世界という疑問符そのもののような環境のなかでぼくらがしるす行動の痕跡は、すべて解決よりむしろ新しい疑問符に向って開かれているからだ。 》 「疑問符を存在させる試み」 2頁

《 (しかし、生きているぼくらにとって真に恐ろしいのは、世界の全面的破滅ではなく、むしろ全面的な破壊ののちになお人間という生物が生き残った場合のことであろう)。 》 同上 4頁

 「芸術 マイナス 一」(一九六〇・二)も衝撃的だ。少し引用。

《 ひとつの作品に向ってまず意味を問うという習性は、多くの人の心に最も根強く生きている習性のひとつである。ところが、芸術作品を人びとのあいだで芸術として成立たせる究極の要因である感動は、意味からではなく、意味を成立たせるものからくる。この区別は重要だ。といってもこれは全く単純な具体的事実にすぎない。 》 23頁

《 芸術は秩序の肉体化だと、かなり久しいあいだ考えられてきた。しかし、秩序に疑問符をつけようとするものこそ芸術だと考えるべきではないか。今日絶対的、原則的な芸術論が無力化してしまったことは、この点からみるなら必然的なことだったのである。 》 24頁

 引用していて、くらくらしてきた。六十年あまり前に書かれたとは。大岡信を見誤っていたわあ。

 午後、8日の作業の続き。源兵衛川右岸の石垣のヒメツルソバを抜く。膝まで浸かる川へ慎重に入り、石垣に持参の脚立をしっかり立てかけ、高いところの二株を抜く。簡単に抜ける。雨で土が湿っているからだろう。簡単すぎて拍子抜け。たった二株で土のう袋一杯に。他に目についた小物を抜く。三十分足らずで帰宅。一汗。コーヒーが旨い。