「窓に光を 戦没学生の手記について」(閑人亭日録)


 昨日取りあげた『大岡信著作集 第四巻』青土社の巻末は「滴々集4」。最初の「窓に光を  戦没学生の手記について」(『菩提樹』1950年1月)に震撼。一部引用。

《 この本の中に、戦争に対する呪詛を手つとりばやく読まうと期待する人々は、むしろ失望するであらう。事柄はしかく簡単ではない。(引用者・略)私達はそこにより陰惨な情景を洞察しなければならない。これらの魂は、呪詛することさへ知らないといふ陰惨な情景を。 》 500頁

《 これらの魂の未熟な表現、一つの叫びさへ聞かれない呻吟に満ちた行間、それらの語る所は、想像以上にむごいものではなからうか? 最も表現欲の旺盛であるべき年代に於て、枯渇した表現しか残し得なかつたこれらの魂の語る所は、慄然たるものすら私達にもたらすであらう。
  かくして、軍閥は二重に生の搾取をなしとげたのである。肉体の搾取に次いで精神的生の搾取を。つまり、これらの通信、手記は、死者の手によつて書かれたものであつた。それらは、生きながら死んでゐる人々によつて書かれたのだつた。(引用者・略)更に痛ましいことは、犠牲がこの場合表現する術も知らぬすべての苦しんだ民衆であつたといふことなのである。然しながら眼を現在及未来に向けよう。そこに再び眠りこまうとする私達の姿がありはしないだらうか。
  無智は竟に幸福ではない。いつの日か、無智は報復される。より悲惨に、より徹底的に。私達は言葉なくして死んで行つたこれらの魂の苦悩に答へるために、先ず無智であつてはならない。 》 501頁

 外は雨。寒々とした気配。熱いコーヒーを淹れる。