なぜ美術品を集める?(閑人亭日録)

 ふと浮かんだ「私はなぜ美術品を集める?」。味戸ケイコさんの1985年の初個展で原画二枚を初めて購入してから、原画の魅力にはまった。その時の一枚が『夢の入り口・1』1983年。
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 新聞広告で目にして焼きついた。魅力とは、ささやかな承認願望が満たされぬ心の隙間に寄り添い、塞いでくれるものだった。女性との対人関係では願うようにはゆかず、心にぽっかり空いた空洞を覆ってくれる一つの手段が、味戸さんの絵だった。と、今は思う。作品を購入することで、作者との信頼関係が築ける。と、今にして気づく。そして相手の私生活には立ち入らない、と心がけていた。
 美術品を購入するとき、考えることは、手元に置きたいほど惹かれているかどうか、そして後世に遺したいか否か。個展で味戸さんから言われた。「越沼さんは古い絵しか買いませんね」。言葉に詰まったが、「新しい絵は判断がつきません」といった返事をした。ある程度時が経てば、斬新さだけではない魅力が現れる。「これ、すごい!」と、とっさに飛びついても、歳月が経つと魅力が減退する作品がある。それは美術作品でも本でも女性でも同様。

 午後、知人二人と三島田町駅近くのお寺、福聚院を訪問。前の住職、故久田誠道氏の遺した木版画を拝見。「三島ゆかりの作家展」で展示した木版画が最高と思っていたが、それに勝るとも劣らない作品に出合ってしまう。これはさりげなく凄い。1987年作の風景木版画は、若い頃師事したという棟方志功の影響を感じるが、それ以降の1990年代の木版画は久田誠道独自の表現を開拓している。そこらの現代作家を軽く凌駕している。なぜこれらの作品を評価する人がいなかったのか。私はお名前さえ全く存じなかった。知人たちの中には知っている人もいたが「ああ、木版画をやっていたのん兵衛だった人ね」で終わり。地元民としてなさけない。一昨年の十月、偶然に氏の木版画に出合い、三嶋大社での企画展「三島ゆかりの作家展」を思い立った。氏の木版画を紹介するのが一番の目的だった。

《 パンクロッカー島キクジロウは何かに目覚め、48歳で弁護士・島昭宏に 原発問題にシャウト「憲法ってロックじゃん」 》 東京新聞
 https://www.tokyo-np.co.jp/article/300834?rct=tokuhou