桃花村

 加藤郁乎「江戸櫻」には師と仰ぐ詩人吉田一穂(いっすい)を詠んだ句がある。

  まれびとは無冠の詩人桃花村

 本棚から吉田一穂「随筆集 桃花村」彌生書房1972年を取り出す。これは「吉田一穂大系」仮面社1970年の第二巻「詩論」、第三巻「随筆・童話」からの抜粋と思われる。「大系」では正漢字歴史的仮名遣いだったけれど、この随筆集では現代漢字現代かな遣いになっている。表題ほかを再読。「山雨朝市」の一文に陶然とした遠い記憶が湧然と甦る。

「山気満ち、忽ち沛然と雨が来た。」

 「吉田一穂大系」第二巻「詩論」、加藤郁乎「吉田一穂ノート」冒頭。

「吉田一穂とはつねに最初の詩人である。始まりにあってすでに終りを感知しながら、つねに無底のデモンとの対峙を避けようとしないことで、意志的に詩を選び取った最初の人である。」

 昨夕ブックオフ長泉店で三冊。桜庭一樹「私の男」文藝春秋2008年6刷帯付、古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」文春文庫2008年初版、レイモンド・チャンドラー「チャンドラー短編集1 キラー・イン・ザ・レイン」ハヤカワ文庫2007年初版、計315円。
 チャンドラーのこの題、創元推理文庫では「雨の殺人者」。ハヤカワ文庫の短編集四冊はすべて原題のカタカナ表記。清水俊二訳チャンドラー「長いお別れ」が村上春樹訳では「ロング・グッドバイ」に、野崎孝サリンジャーライ麦畑でつかまえて」が村上春樹訳では「キャッチャー・イン・ザ・ライ」になったのと同じ現象。どうなんだろう。矢作俊彦ロング・グッドバイ」は、英語表記では「THE WRONG GOODBYE 」。村上春樹訳への対抗、というよりオチョクリか。それはさておき。相応しい訳がないのだろうか。エミリー・ブロンテ嵐が丘」で「おお!」「ああ!」と訳されていた感嘆が新しい訳では「うそ」となったように。

 古川日出男「ベルカ、吠えないのか?」の文庫版「あとがき」冒頭。

「想像力の圧縮された爆弾。創作意図を問われれば。ひと言、それに尽きる。」