ゼタことガロ

 『ゲゲゲの女房』 登場人物のモデルは誰?と話題になっているようだ。つりたくにこ長井勝一桜井昌一つげ義春……。四十年ほど前、『ゼタ』こと『ガロ』(ゼタの下半分を除くとガロとなる)の出版社、青林堂へ本を買いに行って、長井勝一氏から『ガロ増刊号 つげ義春2』の表紙原画を見せてもらった。黒い描線線が、印刷よりはるかに美しかった。「水木しげると貸本漫画と『ガロ』の時代」展のチラシを制作。

≪彼らの大半は、中学生をでてすぐ地方から都会に働きにでなければならなかったような境涯にあり、なによりも、ありうべき明日をもつこともなく、ひたすら無気力な生を生きなければならない。そのようなとき貸本屋のマンガ=劇画は、彼らにとってなんであったろうか。他人との接解(ママ)を拒否し、みずからの孤独に内閉するときだけ、いかなる社会的桎梏からも自由でありえる彼らにとって、たったひとりで、どのような<現実>を気にすることもなく没入できる<現実 >が、そこにあった。そこでは、みずからが<非学生>である<非>にこめられている日常的な絶望感を、逆手にとることさえ可能だったのである。≫

 梶井純『戦後の貸本文化』桜井文庫1976年に引用されている、梶井純の「<コマ割演歌>をとりまくもの」『美術手帖』1971年2月号掲載の一文。貸本屋→ネットカフェ。時代は移っても社会構造に変わりはない。

 ネットの拾いもの。

≪「俺がやらなきゃ、誰がやる」

 「俺がやらなきゃ、誰かやる」≫