今朝は涼しい。小雨が降ったり止んだり、秋霖の気配。長袖のシャツ。
村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮文庫2009年初版を読んだ。この歳(59)になって教養の意味がやっとわかった。
≪家庭における規矩(きく)の習得、そして大学(リベラル・アーツ・カレッジ)における知的成熟、この二つが、教養という点での柱になる──それが私の暫定的結論になります。≫107頁
「第五章 価値の大転換 戦後民主主義教育で失われたもの」。刺激的な論旨が展開。
≪片や日本のように文部省がこれほど大きな権力を握ってしまって、教育、学校制度の内容全部に口を出して、それを管理するというのは、ほんとに少し奇妙な事態だと思うんですけどね。≫208-209頁
≪現在日本では、中央政府が私立学校に私学助成金を交付していますが、これは明白な憲法違反なのですよ。憲法八十九条にはこうあります。≫209頁
「終章 私を『造った』書物たち」。彼が評価している山本周五郎、藤沢周平、未読。
≪私は今世間が崇めるほどに扱う司馬遼太郎には全く魅力を感じません。≫265頁
司馬遼太郎も未読。『近代日本の100冊を選ぶ』(月刊現代1991年)。
≪山崎正和 司馬遼太郎は百冊に入るべき作家だと思うんですよ。ただ、何を挙げるかというのが難しい。『龍馬がゆく』なんて、いいと思うんですけど。≫
村上陽一郎は山本周五郎、藤沢周平に次いで池波正太郎を挙げ、続いて「現代屈指の作家たち」。
≪現代のエンターテインメント作家で、どうしても挙げておきたい人があと三人います。≫268頁
北村薫、原リョウそして隆慶一郎。私は三人に絞れない。半村良なんかを入れたくなる。それにしても「目に一丁字(いっていじ)もない」という言い回し、この本でこの歳になって初めて知った。意味は「無学で、全く文字を知らない」。ああ、オレのことか。