いい音いい音楽

 昨夕帰りがけにブックオフ長泉店で二冊。五味康祐『いい音いい音楽』中公文庫2010年初版、川上澄生『明治少年懐古』ウェッジ文庫2008年初版、計210円。

 五味康祐『いい音いい音楽』は、大きめの活字にゆったりした行間、短いエッセイという好条件。昨夜読んでしまった。前半がオーディオ談義(いい音)、後半が音楽談義(いい音楽)。後半から。

《 偉大な芸術家ほど、様式は変わっても作品の奥からきこえてくる声はつねに一つであり、生涯をかけて、その作家独自の声で(魂で)何かをもとめつづけ、描きつづけ、うたいつづけながら死んでいる。幾つかの作品に共通な、その独自の声を聴きとることができれば、一応、その作者──つまり彼の< 芸術 >を理解したといえるだろう。》

《 でも、これは言っておきたいのだが、いい曲といわれるものには、初めて聴いた時から、こちらに琴線にふれる印象ぶかい好曲と、初めはわけがわからないが、何度か聴いているうちに、素晴らしさがわかって感銘のわいてくるものがある。前者は初めはチャーミングだが、くり返し聴いているとあきてしまう。》

《 アンコールは、名演をきかせてくれた場合に捧げるべきものだ。トクをするのとは違う。》

《 音楽には神がいるが音には神はいない。》

《 フォーレは三十八歳で結婚した。相手は彫刻家の娘で、彼女マリーは装飾的なパネルを描いて県立美術館に買い上げてもらったり、扇絵を描くとそれがよく売れた。おかげで年収三千フランも稼ぐようになったけど、夫フォーレの音楽は一文にもならなかったと、フォーレの息子は回想記で書いている。結婚三年目ぐらいである。でも、この三年のあいだに、フォーレのすぐれたピアノ曲の大半は書きあげられた。/「夜想曲」第一番もむろんその一つで、フォーレのすぐれた天分はすべてここに開花し、結実している。フォーレは全十三曲の「夜想曲」を書いているが、この第一番を白眉の作と私は推す。(引用者:略)一文の足しにもならぬどころか、豊醇な稔りを有つ結婚だったのである。》

 昨夜遅く、パスカル・ロジェ弾く「夜想曲」第一番を繰り返し聴いた。清澄で端正な演奏。

《 きこえてくる言葉は上品で、男をすでに体で愛することを知っており、その愛のむなしさ、時には嫉妬に苦しみぬいた夫人の愁いを彷彿させる。/「夜想曲」第一番は特にそうだ。》