白砂勝敏展最終日

 4月3日(火)休館します

 昨日は荒天にもかかわらず、何人もの方が初来館された。きょうは好天。富士山は純白の厚化粧。駐車場から車が溢れる。賑やかに終了。

 一昨日、白砂勝敏氏の木彫椅子を、十月に沼津市のギャラリーで一か月近く展示することになった。働きかけが功を奏した。白砂氏、大喜び。企画担当者から解説文を頼まれる。昨日、短い解説の拙文「見出された、かたち」を仕上げた。

 白砂氏にお見せするために、假屋崎省吾インスタレーション「FUNE」が載っている雑誌『太陽』1991年8月号を持ってくる。特集「現代美術のアトラス」。

《 華道出身の假屋崎省吾は、この数年間もっぱら土を用いた造形に打ちこんでいる。形として永続しない土だから、当然束の間のインスタレーションということになる。画廊の内部に薄く土を敷きつめ、それをひび割らせて舟を浮かべ、その内部も土で満たす。》

 巻頭言は中沢新一「ニ○世紀美術を忘れるために」。

《 現代美術がニ○世紀の文明にたいする、真摯な批判的同伴者であったことは、たしかである。しかし、同時にそれだからこそ、あの社会主義と同じように、人類の錯誤の歴史の一頁に書き込まれることになる運命にあるのかもしれないと、疑ってみたほうがいい。それは、さまざまな試みをしてみたけれど、いたるところで進化の袋小路にはまりこんで、ついには絶滅していった古代生物に似ているのかもしれない。》

《 芸術はたましいのわざだ。大脳皮質の一部だけをつかって、それをつくりだすことはできない。》

《 たましいのわざとしての芸術をとりもどすためには、ニ○世紀美術をまず忘れてしまうことのほうが、大切なのではないだろうか。》

 椹木野衣氏のツイッターから。

《 牛レバ刺し全面禁止。「行き過ぎた食の安全」問題としてのみ捉えない方がいいかもしれない。店での提供だけでなく小売りも禁止、レバ焼きまでしっかり火が通るよう義務化するなど、14年間死者ゼロに対して、厳罰化(違反なら2年以下の懲役、200万円以下の罰金)とのバランスが明らかにおかしい。》

《 そもそもユッケから始まったレバ刺し全面禁止。どこか国民の食習慣をめぐる改編や流通そのものの根絶を含んでいる気がしてならない。生食そのものを問題視するなら魚の刺身や鶏ハツ刺し、生牡蠣まで及ばないのは不自然。やはり焦点は「牛」の流通形態そのものにあるのではないか。》