本棚を眺め、次に何を読もうか、目を流していて、竹西寛子『ものに逢える日』新潮社1974年初版というエッセイ集に手が伸びた。最初のエッセイ「うつりゆき」。
《 いったいに、自然の書かれていない作品よりも、書かれているものの方に作者を感じやすいのは、自分が地方育ちのせいもあるかと思う。あらわれるのは人間ばかり、というのは、理屈では納得できても、実情としては何となく息がつまりそうになる。 》
頭にポッと電球が点った。昨日の『ゴーレム』には自然はほとんど出てこない。人と人とのむせるような濃密な描写が延々と続く。私は小説で人当たりしたのだ。
《 多摩川の川原へは、歩いて二十分あまりの距離であるが、家のそばがちょっとした野原だったので、一昨年まではけっこう摘草などもできた。 》「早蕨」
昨日行ったブックオフ三島徳倉店へは、抜け道で一級河川の大場川の土手を通る。陽だまりの土手には蓬の若葉がチラホラ。昔、ここではないが、日当たりの良い土手で蓬をどっさり摘むのが一仕事だった。大鍋で茹でて、蓬大福に使った。よく売れた。この春は陽だまりでのんびり過ごしたい。
《 世界は、問いをもつものにしか答えてはくれない。しかもその答えは、問うものの程度に応じてしか得られない。 》「子曰く」
《 すでに起った変化だけでなく、やがて起こり得るであろう変化への予感にふるえるこの詩人の「情緒」の描写が、イメージの喚起よりもヴィジョンの喚起にすぐれていると感じる時、感動の具象化にこめるべき観念の意匠を探りつづけていた私は、ここにおいてまた、ささやかな安堵と新たな不安に揺れながら、それでも励まされるのがつねであった。 》「不逞なる親和──萩原朔太郎讃」
萩原朔太郎は最も愛読する詩人。大岡信氏の文化功労賞受賞祝賀会の前、会場のある三島プラザホテルの一室で、参加者に配る詩集『故郷の水へのメッセージ』花神社1989年初版へのサインのお手伝いをしていて、ついでに氏の『萩原朔太郎』筑摩書房1981年初版にサインをしてもらった。「一九九八年一月廿九日」。
《 それでも、今の私は、文学と音楽のない世界に生きることを考えるとぞっとする。 》「ロンドンデリーの歌」
ブックオフ長泉店で四冊。宮部みゆき『ソロモンの偽証 第II部 決意』新潮社2012年初版、同『ソロモンの偽証 第III部 法廷』同、種村季弘(すえひろ)『江戸東京《奇想》徘徊記』朝日文庫2006年初版、似鳥鶏(にたどり・けい)『午後からはワニ日和』文春文庫2012年初版、計420円。コーヒー一杯分の幸福感。
《 人生は一杯の珈琲のようなもの。たわいなくもあり、豊かでもある。 》 鯨統一郎