バッハ

 昨日は必要があって、パブロ・カザルス演奏の『J.S.バッハ 無伴奏チェロ組曲(全曲)』のCD二枚組と前橋汀子演奏の『J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集』のCD二枚組を連続して聴いた。ふう。これにリヒテルのピアノ演奏『平均律クラヴィーア曲集』LPレコード六枚を聴いたら……考えたくないわ。

 前橋汀子の演奏を聴きながら読んだ以下の文章、バッハに相応しいなあと思ったり。

《 いや、アルベルチーヌの手にふれることは、それがおそらくもたらしたはずの結果などぬきにして、ただそれだけでも、私にはすばらしいことに思われた。彼女の手のように美しい手を見たことがなかったからというのではない。彼女の友人たちのグループのなかでも、アンドレの手のほうがやせていてはるかに繊細であり、この少女の下す命令におとなしく従いながらも、独立した固有の生命のごときものを備えていて、さながら上品なグレーハウンド犬のように彼女の前方に伸びていたし、その指の物憂げな、長く夢見るような、しかも不意に身を伸ばす動きのために、エルスチールはこの手をめぐって数枚のエチュードを作りあげたくらいであった。 》 マルセル・プルースト失われた時を求めて』(「第二篇 花咲く乙女たちのかげに アルベチーヌ・シモネ」)鈴木道彦・訳 集英社文庫

 中学生のときのフォークダンスを甘く切なく思い出す。やっと巡ってきた彼女のやや湿り気を帯びたやわらかな手。この一節で突如思い出した。まさしく失われた時。先だって刊行された岩波文庫光文社古典新訳文庫ではどのように訳されているのだろう。

 午後、洋画家の内川義信氏のアトリエを久しぶりに訪問。今バッハにはまっている氏に前橋汀子『J.S.バッハ 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集』を聴いてもらう。これはいいですね〜、と喜ばれる。それからもう一枚、アファナシエフブラームス 後期ピアノ作品集』を聴いてもらう。ネット注文します、と内川氏。氏がお気に入りのバッハの「マタイ受難曲」をかける。テオ・アンゲロプロスの映画『ユリシーズの瞳』を連想しますね、と述べると、氏は知人からもらったオリジナル・サウンドトラックCD(音楽 エレニ・カラインドルー)を出してきてかける。似ていることに気づき、氏はビックリ。

 ネットのうなずき。PC遠隔操作事件。

《 しかし、なんら有効な物的証拠を示せないまま、あんな長期間勾留するとか、
  検察はマジでいかれてるとしか思えない。
  面子傷つけられたら、あいつらなんでもやることがわかったわ・・・。
  毎回毎回延長勾留するための、ありもしない理由を考えてたんだろな、怖いわ。 》

 ネットの見聞。

《 グスタフ・マイリンク『ゴーレム』(今村孝訳、白水Uブックス)は、すこし予定が早まり、11日取次搬入となりました。フーゴー・シュタイナー=プラークの雰囲気満点の挿絵入りは今回が初めて。旧版読者も是非。 》 藤原編集室

 薦められても、旧版で読んでいるから遠慮。

《 最終的に国益を守り切れるのが「強いリーダー」であり、それは「強がるリーダー」とは別のものである。 》 内田樹
 http://blog.tatsuru.com/2014/03/05_0950.php

《 戦争という概念ではなく「現実の戦い」を理解している人には、安倍ちゃんの戦争ごっこは迷惑千万でしょう。 》