「 吉田一穂──極の誘い 」

 渋沢孝輔「吉田一穂──極の誘い」(『螺旋の言語』思潮社2006年初版収録)を読んだ。

《 一見したところでは貧しげにさえ映りかねない吉田氏の詩業は、実はその一篇一篇が 新たな境地の開拓だったのであり、いったん獲得した方法の惰性的な応用といったものは 全くなかった。これは驚くべきことである。 》 154頁

 北一明を連想。北一明は、焼きものの個展ごとに新たな美を加えようと試みた。

《 あたかも旋回する独楽のように静止したまま、詩人の「心頭」はいや尖(ほそ)っていった ようであるが、その尖端は下に向かっては無窮の「自然律」に深く根ざし、上に向かっては 自然からの「表現的分離」たる詩の鳥となって、どこまでも高く飛翔した。 》 155頁

 北一明は火の鳥か。北一明は、自然の陶磁土から、自然にはない美を焼成しようと悪戦苦闘した。

《 韻律学というようなものがどれほど精妙をきわめても、それ自体ではけっして詩的昂揚を 覚えさせることもなく、従ってすぐれた作品を生む直接の保証ともなりえないのもそのためだろうが、 一方ではまた、言葉の配列に関するなんらかの習慣=リズムなしには、ポエジーが一篇の詩作品として 現実化されえないことも事実である。この間の矛盾にみちた関係が詩史のじぐざぐを織り成してきたのだが、 とりわけ近代・現代詩の時代になって、その矛盾がきわめて尖鋭なかたちで露呈されることになった、 と言ってよくはないか。 》 161頁

《 ところで、ポエジーの垂直性という言葉に関連して直ちに思い合わされるのは吉田一穂氏の 詩論的業績である。氏ほど徹底してその点を考えぬき、みずから貫き通した詩人は少なくともこの国には いない。しかも日本語の音数律の本質と宿命を詳細に分析し洞察したのもまた吉田氏である。 》  163-164頁

 しかも日本の焼きものの本質と宿命を詳細に分析し洞察したのもまた北氏である。

《 「和歌は本性的に日本音律の典型である。この危険な一線で我々は歌はんとする衝動を押へて、 内へ内へと結晶させ、詩本来の意味の世界を新たに構成すべく、垂直的な方法に於ける絶対詩を企図した。 まさに近代西欧の知的発想であり、そのかぎりに於ては論理的に追求も理解も可能の世界である。」 》  吉田一穂 165頁

 北一明は、焼きもの本来の意味の世界を新たに構成すべく、垂直的な方法に於ける絶対焼きものを企図した。 まさに近代西欧の知的発想であり、そのかぎりに於ては論理的に追求も理解も可能の世界である。

 吉田一穂は没後、支持者による論文、エッセイが刊行されたが、北一明はどうだろう。知られざる孤峰。

 『江古田文学44』特集「102年目の吉田一穂」2000年から。

《 吉田さんは「創ったものが実在(美)である」という確信をもっていたが、これは「創られたものこそが 存在であり、創ることこそが認識である」という私の信条と一致していた。 》 井尻正二「随想 吉田一穂」

《 ほんとうは「谺(かへ)してというのは〈谺のように響きを返して〉ということだと看做せば、 この用語の〈節約〉がポエジー(詩性)を造り出すことを、一穂は信じている。そしてこれは吉田一穂の 本質に近いものだ。たとえば、富永太郎の詩は日本語をフランス語脈で記すこと自体がポエジーを 構成することを信じているものの詩だ。またそれ以外でも以上でもない。おなじように一穂は日本語と 漢語の象形性のあいだの〈節約〉が、ポエジーを構成できると信じているものの詩だと思える。 》  吉本隆明「吉田一穂について」

 「極度に圧縮」伊藤信吉。「節約」吉本隆明。印象がえらく違う。面白いものだ。

 ネットの見聞。

《 「書物は、読むたびにあたらしく問いかけるものをもっている。いや、たえずあたらしく 問いかけてくるものをさして書物と呼ぶといってもおなじだ。書物がむこうがわに固定しているのに、 読むものが、書物に対して成熟し、流動していくからである。書物のがわからするこの問いかけが、 こういう流動にたえてなおその世界にひきずりこむ力をもち、ある逃れられないつよさをもって、 読むものを束縛するとき、わたしたちは、その書物を古典と呼んでいいであろう」(吉本隆明カール・マルクス マルクス紀行」29頁)。 》 ウラゲツ☆ブログ
 http://urag.exblog.jp/21368344/

《 ここに紹介した『吉田一穂大系』(仮面社)も版元そのものがとっくになくなっている。のみならず、 これは一穂が怒っていたことだが、この大系によって御本人にはビタ一文も入らなかった。 》 松岡正剛
 http://1000ya.isis.ne.jp/1053.html

《 僕はこれまでに丁度二十冊の詩集を出したことになるが、一冊も印税をもらったことがない。 》  北園克衛「古本」
 http://sumus2013.exblog.jp/24165480/

《 軍をもつ国なら、安全保障に関する喫緊の課題には国防省と国軍が必ず議論に参加するが、 その前に外交努力が尽きたかどうかを問われる。今の日本をみていると、官邸の暴走に外務省が 露払いをしている(実際はし損なっているが)かのようだ。 》 masanorinaito
 https://twitter.com/masanorinaito

 ネットの拾いもの。

《 安倍談話より安倍の声明の方が、陰陽の力を感じる。 》