『日本文学史序説 上』七

 加藤周一『日本文学史序説 上』ちくま学芸文庫2009年8刷、「第七章 元禄文化」を読んだ。これで上巻を読了。

《 「元禄文化」は、決して「町人文化」ではなかった。しかし、その重要な一面が「町人文化」と深く係っていたのである。 》  464頁

 熊沢蕃山、山鹿素行山崎闇斎貝原益軒伊藤仁斎荻生徂徠ら思想家がとりあげられる。

《 ここでいう「文人」は、後の徂徠が定義したような儒者ではない。しかしこの紀行文をたとえば同時代の芭蕉のそれと 較べれば、徂徠がはるかによく周囲の社会をみていたことは、あきらかである。道中の地方都市の盛衰(府中)、大都会の水源 (玉河)、養蚕、や金鉱(小仏峠)のことなど、すべて芭蕉の全く注意しなかったことであろう。 》 486頁

 そして新井白石

《 しかし白石のもっとも重要な仕事は、日本史の領域にあった。 》 505頁

《 しかし一般に、白石は、ここで歴史過程を、歴史に内在する要因(主として政治・経済的、また時として制度的要因)から、 合理的に説明しようとしている。 》 507頁

《 侍が戦っているときに、「武士道」はなかった。侍がもはや戦う必要がなくなってはじめて、「武士道」が生れたのである。 》  510頁

《 現にその句にも文章にも、仏教の深い影響はみとめ難い。すなわち芭蕉の逃避の文学は、それ自身を目的とし、それ自身を 価値とするほかはなかったはずである。一種の「芸術のための芸術」。 》 530頁

《 『おくのほそ道』が、貧家に泊り蚤蚊にさされて夜も眠れなかったことを特筆するのは、そういう経験が稀であったからに ちがいない。 》 533頁

《 一般に日本人が自然を好んでいたから、芭蕉が自然の風物を詠ったのではなく、彼が自然の句を作ったから、日本人が自然を好むと みずから信じるようになったのである。 》 533頁

《 あるいはむしろその「風雅」の道こそは、武士的・町人的な価値の何れにも「コミット」せず、しかも仏教による現世超越にも 向わなかった詩人の、みずから生きざるをえなかった価値の信仰であったというべきかもしれない。一七世紀における文化の世俗化の、 これほど徹底した例は少ないだろう。 》 537頁

 人物を対比させることによって、その時代の特徴をあぶり出す技法はじつに見事。

《 白石と西鶴は、一方が朱子学の、他方が町人と俳諧の語彙を駆使していたけれども、それぞれの世界の現実を理解しようと望む 態度において、すなわち観察者としての資格において共通していたのであり、彼らの時代のなかで際立っていた。徂徠と近松は、 言葉をもとめた(彼らは詩人である)。白石と西鶴は、言葉ではなく、現実へ向うことによって、無類の散文を書いたのである。 》  350頁

 読み応えがありすぎ、ひどく疲れたが、読んで正解。スゲエわ。

 ネット、いろいろ。

《 東京新聞 26日 山口二郎さん「共謀罪の真意」
  普通の人に適用されるか、捜査機関・裁判所が人権を守る熱意を持ってきたか検証する必要。沖縄での山城博治さんへの長期勾留は 警察の狙いが思想抑圧にあり、裁判所が歯止めになっていないことを示す。共謀罪は不逞の輩を弾圧するための新たな道具だ! 》  海渡雄一
   https://twitter.com/kidkaido/status/835699677202829312

《 忘れて・しまいたい・骨董屋 》 いかふえ
 https://twitter.com/ikafue/status/835875400005791746