再読『「敗者」の精神史』二(閑人亭日録)

 山口昌男『「敗者」の精神史』岩波書店1995年初版の再読を進める。「1 明治モダニズム─文化装置としての百貨店の発生(一)」を読んだ。三井呉服店の経営改革。

《 さて、高橋義雄は、更に新しい呉服模様の開発を試みた。 》 20頁上段

《 高橋はまた、機構の上でも大改革を試みた。 》 20-21頁

《 明治三三年(一九◯◯年)── 》 23頁上段

《 この年、初めて女子社員が採用され、電話、仕立物検査に廻された。 》 23頁上段

《  男の城としての呉服販売の崩壊はいっそう進行した。
  翌三十四年には女子職業学校卒業生など数名が販売係に採用され、三十六年には公募により四四九人から二六名が採用された。高橋の三越は、女性解放の原点にいたと 言える。都市空間の中性化は、こうした三越の大胆な商空間の開放を一つのきっかけにしていたと言えよう。 》 23頁下段

 「近代におけるカルチャー・センターの祖型──文化装置としての百貨店の発生(二)」を読んだ。三井呉服店から三越呉服店へ。

《 新発足した三越が、日比(翁助)の指導のもとに他の呉服店に先がけてデパートメント・ストアーに脱皮することを宣告したのが、明治三十八年一月二日の主要新聞 への一ページ広告であった。 》 51頁下段

《 アール・ヌーヴォーへの接近は、デザインにおける線的要素の再発見に結びつき、三十七年十月一日から一カ月にわたって行われた「光琳遺品展覧会」「光琳図案集」 などの、三井・三越の歴史を通して最初の文化展覧会として結実していることは既に詳しく述べたところである。 》 52頁上段~下段

《 実は元禄ブームの仕掛け人は、高橋義雄であった。 》 52頁下段

《 この明治三十九年頃から、子供用服飾品の販売開始にはじまって、三越では子供に焦点を当てる傾向が顕在化して来る。 》 55頁下段

《 明治四十年十二月に、三越の本店に新美術部を新設し、諸家の絵画工芸品の展示販売をすることになった。 》 56頁上段

《 そして、四十一年三月、「子供部」が新設されている。 》 68頁下段

《 同じ二十九年、(巖谷)小波は、川田綾子なる女性に失恋した。友人の尾崎紅葉がこの件に憤慨し、「金色夜叉」問題のひとつの原因となった。 》 70頁上段

《 つまり三越が知的文化の世界といかに太いパイプで連なっていたかということが知られるであろう。 》 71頁上段

 ネット、うろうろ。

《 BBCのドキュメンタリーの何がすごいかと言うと、詩織さんの家に盗聴器仕掛けて外に公安の黒い車が常駐してた事の暴露。日本人以外がみんな知った! 》  junko
  https://twitter.com/junko1958/status/1207459773966356480

《  安倍首相と親密な元TBS記者の逮捕状取り消しを追及する日本の全国紙は毎日だけか。安倍首相と官邸キャップの会食を欠席し桜を見る会を 厳しく追及し続けているのも毎日。編集幹部が自らツイッターで報道姿勢を連日説明しているのも毎日。
  他の新聞は何しているのだろう。差がどんどん開いていく。 》 鮫島浩
  https://twitter.com/SamejimaH/status/1207850938607652864

《 野党ヒヤリング、殊勲! 田辺よし子下関市議から「会費を支払わなかった人がいる」「ニューオータニの領収書を見た人は、下関には誰もいない」 との大きな証言を得たのだ。さあ大矛盾だ。安倍さんは「受付で事務所職員が1人5000円を集め、ホテル側が発行した領収書を手渡した」と説明していたのだから。 》  立川談四楼
  https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1207865354426281988

《 人は、他者の心の中を裁いてはならない。もし心に差別意識を抱える者が、それを表に出すことなく人生を全う出来たなら、その人は隠れ差別者ではなく 聖人と呼ばれるべきだ。これは万人に与えられた課題であり、私は差別者ではありませんと明言する者は、そのスタートラインにさえ及んでいない。 》  津原泰水=やすみ
  https://twitter.com/tsuharayasumi/status/1207484254487080962

《 まだまだ上がると言っていた大納会、しかし大発会からはつるべ落としでした。調べたら、平成元年だったんですね。歴史は繰り返すか? 》