閑人亭日録

『絵は語り始めるだろうか』一

 佐藤康宏『絵は語り始めるだろうか  日本美術史を創る』羽鳥書店2018年、「2 中国絵画と日本絵画の比較に関するニ、三の問題──戸田禎佑『日本美術の見方』を 受けて」を読んだ。

《 もちろん、中国絵画史を視野に入れないままでも、これらはそれぞれ意義のある研究に違いない。しかし、日本絵画史のある現象を日本国内のみで説明する態度が、 現象の正確な把握を妨げているのもまた確かだろう。 》 48頁

《 ヨーロッパの美術こそが人類の作り出した造形のうち最も賞賛に値するものであるかのような思い込みは、西洋諸国にはなお一般的だとそうぞうされる。 この日本ですら例外ではない。そのような現状に向かって、ヨーロッパ美術と共通する、あるいは相違する造形のあいりようというものが存在したことを説き、 異文化への理解を深めるとともに人類の財産目録について共通の認識をもたらすこと。 》 51頁

 戸田禎佑は北一明の作品を高く評価している。

《 作者の意図を忠実に表出するために、偶然の効果は極限まで排除されねばならない。このことは芸術の一回性を否定するものではなく、貴重な一回を統制する能力を いうのである。氏の”耀変”は、厳しい訓練のすえに、難技を軽々と踊りこなす舞踏家の自信に満ちた微笑にもたとえられよう。 》 『北一明芸術の世界』 主婦と生活社1987年、22頁より抜粋

 「3 日本絵画の中の文字」を読んだ。「鳥毛篆書屏風」(正倉院)について。

《 ひとつの連続した空間の中に絵と文字とが両方表される最古の例として、八世紀中頃のふたつの作品を挙げてもよかろう。(中略)ひとつは書をデザインした屏風 である。二種類の書体の漢字で書かれているのは、君主の戒めとすべき言葉だ。「君主がひとりで勝手に政治を行なうことがなければ、臣下も彼を助けるだろう」。 中国の皇帝たちがそうしたように、聖武天皇はこの屏風を身近に置いて、自らの政治を反省する材料としたのだろう。日本の首相にもぜひ使ってほしいような調度品だが、 残念ながら、けっして反省ということをしないタイプの首相には、効果はないだろう。 》 60頁
 
《 註13 夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』(NHK出版、」一九九七年)一一◯─一ニ四頁を見よ。 》

 見た。「第8章 オノマトペの効果」だった。本はもっておくものだな。

 「4 境界の不在、枠の存在──日本美術について私が知っているニ、三の事柄」を読んだ。

《 この罠は、日本美術を単純化して見せようとする。「これが日本美術の特徴です」といいながら学者が何かを差し出すとき、彼女ないし彼は、必ずほかのだいじなもの を投げ捨てているのだ。 》 81頁

《 宗達の絵を模写した光琳は、宗達の構成の本質を理解できなかった。風神と雷神の枠の中に収まり、ただ中途半端な位置にとどまっている。 》 107-108頁

 「5 つなげて見る──「名作誕生」展案内」を読んだ。再読だとまた違ったところに関心が向く。

《 大雅は、何かを模写しただけでも原本とは異なる魅力を画面に漲らせることができた。伊藤若冲も同様の模写を遺した画家である。(中略)写すこと自体がひとつの 創造だという逆説を思わずにはいられないだろう。さらに若冲は、雪舟をはじめすべての作家がそうであったように、自己模倣によって新たな作品を作り続けもした。 》  129頁

《 XとYとの関係が常に文献資料で裏付けられるわけではない。ときには受け取る方が無意識のうちにも形の伝播が生じる。 》 130頁

《 造形の歴史においてはしばしば何かを表すための決定的な形というものが現れ、それは自らに従うよう後の作り手たちを誘惑する。あるいは作り手がその型に対して 果敢に挑むことを促す。 》 131頁

 目の醒めるような論述が続く。きょうはここまで。

 朝、自宅裏の蓮馨寺のお墓横の源兵衛川で茶碗のカケラやガラス片を拾う。重くなって終了。これ以上重いとコケてしまいそう。それはみっともない。一汗。

 ネット、うろうろ。

《  (今は必要ないかもしれないが)お前は今後、この本を必要とするであろう、と頭のなかの預言者が言うので。
  (本を積む人の頭のなかには、預言者の一人や二人いるのではないか。…いますよね…?) 》 syouko
 https://twitter.com/syouko_azu/status/1099306519722520577

《 価値がないから価値がある~『怪盗ニック全仕事6 』 ストラングル・成田 》 翻訳ミステリー大賞シンジケート
 http://honyakumystery.jp/10358

 「怪盗ニック」シリーズはハヤカワ文庫で四冊もっている。創元推理文庫は全六冊かあ。創元のシリーズはもっていない。悩ましい。

《 末梢的でどうでも良いことなのだが、私大の教授から退くことを「退官」と書く人がいるが、私大の教授は、国立大の教授のような官職ではないのだから「退職」 であるはずだ。椹木野衣『反アート入門』にもそのようなことがあり(174p)、理論家の椹木にしては迂闊だったことか。 》 千坂恭二
 https://twitter.com/Chisaka_Kyoji/status/1100046359078391808

 確認。確かに。千坂恭二も読んでいることに驚く。

《  人生、幾つになっても何かを始めるのに遅すぎることはないし、なんなら来世もカウントして、今日から軽率に好きなことを始めよう。
  成果なんてものは1万年過ぎれば全て塵に帰る。究極的には「面白い」に挑むワクワクだけが価値だ。 》 馬刺しの人
 https://twitter.com/onazimaimai/status/1099844130920747013

《 冷静に考えれば、「森羅万象」の意味を知らない人は、「真摯に」という言葉の意味も誤解してる可能性がある。 何か、思いもよらない意味で使っているのではないか。 》 平野啓一郎
 https://twitter.com/hiranok/status/1099871673862553600