『飛鳥大和 美の巡礼』七(閑人亭日録)

 栗田勇『飛鳥大和 美の巡礼』新潮社1978年初版、「十 女人高野」を読んだ。

《 一言にしていえば、古代の思想は、それが古いからといって、つねに単純とはかぎらない。古代言語構造をみても、その文化のイメージをみても、今日の私たちとは、 重視する細部がちがうだけで、現代より、はるかに緻密なイメージを生きていたのである。そのため、室生の具体的な風景はじつに大きな意味を持っていた。 》 158頁

《 風景とは、世界のイメージの具体化であり、人間の構想力が自律的な法則をつくり出したとき、はじめて文化と呼べるとするなら、そのトータルなイメージ化が風景で ある。もちろん、ふつう、風景とは、あちら側、自然の側にあって、人の手ではどうにもならない客体として考えられている。しかし、ぎゃくにいえば、まず風景とは、 人によってえらび出され、認識されてはじめて風景となり意味をもつ。それでなくては、たんなる自然のものの集積にすぎない。 》 158-159頁

《 さらに重要なことは、風景が意味のある統一体だとすると、それをそう眺めることによって、その世界に入る人間が、今度は風景によって反作用をうけるということ である。 》 159頁

 「十一 はつせ・こもりく」を読んだ。長谷寺への登廊が読ませる。

《 さて、長谷寺のまえに立って、はるかに本堂をあおぐとき、誰しも息をのむ。(引用者・略)長谷寺では、まず目をうつのは、眼前にたちふさがる山腹に、稲妻形に どこまでも昇ってゆくかにみえる登廊の屋根である。登廊は急な石段の回廊がはるかな本堂まで、百八間つづきにつづいている。 》 175頁

《 そしてついに、小さな山門をくぐって本殿のわきに出る。私たちは、ごく自然な寺域にいることで安堵する。ふりかえると、突然、眼下に、このたびは、全山が一望の もとに展開して視界にとびこむ。 》 176頁

《 まことに、劇的とはそういうことであった。自然のふだんの言葉や動作によりながら、行為は肉体の自然にしたがいながらも、それが、別な時と空間の秩序にしたがう ことによって、生の意味が、厚い日常性のかさぶたを、肉じゅばんのようにぬぎすてて、新しい世界の現実のなかで、新しい肉の存在がよみがえることであった。 この根本的な構造があればこそ、人間は、ときに、みずからの存在を把握しなおす必要をかんじたとき、すなわち、太古にあっては、植物や動物の繁殖のサイクルの祭りに、 また、死の儀式に、このドラマによって、世界との関係をあらためてつくりなおしたのである。それが、一方では、世界のあり方へ重心をおく宗教となり、また一方、 人間のいとなみに重きをおく芸術となったことはよく知られている。長谷寺の空間は、まさに、このもっとも根源的な構造を見事に演出している。 》 177頁

 「十二 十一面観音の謎」を読んだ。

《 そのようなお寺で、むしろ、傍らに安置されている、何の指定もない、地蔵菩薩のまえに、僅かな小銭が供されているのを目にするほうがはるかに感動的である。 なぜなら、そこには、なにはともあれ、供物をして祈るという心の交流があるからである。芸術の心とは、年代や様式を論ずるまえに、この物との心の交流、そのあいだに かもし出されるひとつの磁気をおびた宇宙の創成にたちあうことにあるからである。長谷の十一面観音のまえでは、もとより香煙の絶えることがない。そのことが なによりも、この仏の存在を力強く物語っているのである。 》 182-183頁

《 近頃、怨念とか祟りということを、個人的な私怨私憤として解釈するむきもみられるが、もともと、祟りという字は予言を出し示すという意から発し、人智を越えた 超越的なるものの啓示いっぱんをさしていたものである。それは、吉凶をとわず、大いなる異変をつげ知らせる「徴(しるし)」として認識されるのである。だから、 高貴のあかしである、いわば吉徴である光耀の霊木が、人に災をおよぼすのは、何もうらみあってのことではなく、超越的なるものと、有限なる人間との関係に生ずる不可避の結果なのである。まぶしすぎる太陽をみたり、高圧の電力にふれたりするように「聖なるもの」は「祟り」を及ぼすのである。この聖なるものを、それとして 安置することによって、今度はその超越的な威力が人間の利益に働くという仕組みがうまれ、それが祭りごとになる。 》 189-190頁

 午後、グラウンドワーク三島の理事会、総会に出席。隣の部屋では自民党三島市支部の会合。テレビ静岡のカメラ。   https://news.yahoo.co.jp/articles/72963240aba8a8cc11c7d93f580aced9bc38a08a

 ネット、うろうろ。

《 >海だけにとどまらず、北海道は絶景だらけなので景勝地に対するハードルもかなり上がっている。

  これは本当にそう。あって当然で意識すらしない。自然という脅威の中に人がかろうじて人の領域を切り取って住んでいるようなあの感覚はどこにでもあるものじゃない と北海道を離れるたびに実感する。 》 道民の人
https://twitter.com/North_ern2/status/1537726265951924224

《 消費税が導入される前は、貴金属などの「奢侈品」に課税する物品税というものがありました。それが廃止されて食品や日用品などに広く課税する消費税が導入された のです。そして、上げ放題に税率を上げた結果が富裕層だけがぬくぬくと暮らしている今の惨状。 》 新保信長
https://twitter.com/nobunagashinbo/status/1537419232870531074

《 富裕層には重税を課して放っときゃいい。勝手に生きるから。政治が見るべきは、アベノミクスの大失敗とコロナ禍で、賃金が上がらず物価高に困窮する人たちだ。 とりあえず消費税を廃止するがいい。私たちは生き返るぞ。我慢してたものが消費税なしで買えるんだ。これが希望でなくして一体何であろうか。 》 立川談四楼
https://twitter.com/Dgoutokuji/status/1537642824186728449

《 鎖国と陰謀 》 ガメ・オベールの日本語練習帳 ver.7
https://james1983.com/2022/06/18/sakoku/