『現代の美術 1 先駆者たち』(閑人亭日録)

 『art now 現代の美術 1 先駆者たち』講談社1971年11月20日第1刷発行を開く。編者は高階秀爾中原佑介高階秀爾「はじめに」から。

《 第二次大戦後の世界の美術は、これまでの歴史にかつて見られなかったような多様な変貌を示している。戦後4半世紀のあいだの美術活動は、その多様性だけから いえば、もしかしたらそれ以前の人間の創造活動の全歴史に匹敵するするものであるかもしれない。 》

《 その第一は、文字どおり地理的な意味での芸術世界の拡大である。 》 9頁

《 現代美術の多様性を形成する第二の要因は、素材および技法の多様化にある。 》 9頁

《そして第三に、芸術という概念そのものの多様化が指摘される。既成の価値観や体系を否定して、新しい美学、新しい主義、新しい芸術観主張するところに、現代芸術の 混沌と多様性があるのだが、それこそ、19世紀以来、さまざまの芸術運動が繰り返し追求してきたところでもあった。本巻は、その歴史を、もう一度今日の眼でふり返って みたものである。 》 9頁

 巻末の中原佑介「現代美術への道 芸術思想の国際化」結び。

《 第二次大戦はヨーロッパの芸術家を四散させたが、同時にこうした画家たちの死没は、ひとつの時期が終わったことの象徴ともいえた。第一次大戦前を幼年期とすれば、 両大戦間は今世紀の青春期であったかもしれない。現在からみると、ある向こうみずの活気と熱気を感じさせるのも、多分そのせいに違いないように思われるのである。》  127頁

 百点ほどのカラー図版どれもがド迫力。枠に収まる作品は一つもない。情熱と気迫が渾然となって見る者を惹きつけ、混沌へ巻き込んでくる。目眩く・・・眼福。 スゲエや。そして思う。この本が出て五十年。これらの作品に比肩する作品は・・・。椹木野衣・編集『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五 拡張する戦後美術』小学館 二○一五年八月三十日初版第一刷発行を開く。椹木野衣「はじめに」から。

《 五○年という時間は、日本美術をめぐる途方もなく長い時の蓄積からすれば、ほんの一瞬にすぎない。しかしながら、それは直近の五○年でもある。 》 6頁

 椹木野衣「よみがえる「戦後美術」──しかしこの車はもと来た方向へ走っているのではないか」から。

《 たしかに、激動の五○年ではあったかもしれない。けれども、こうして振り返ってみたとき、戦後美術と呼ばれるものには、敗北に由来する哀(かな)しみと同じ くらい、そこはかとない多幸感が漂っているように思えてならない。無軌道に激しく、時に自己破壊的であったとしても、それと同じくらい精力的で、何よりも エモーショナルだった。 》 170頁

 『art now 現代の美術 1 先駆者たち』の函は片面がピカソ『鏡の前の女』1932年、片面がダリ『記憶の固執』1931年。
 https://www.artpedia.asia/work-girl-before-a-mirror/
 https://www.artpedia.asia/dali-the-persistence-of-memory/
 二十年ほど前、上野の森美術館ピカソ『鏡の前の女』を見た。中学三年のとき、学習雑誌『中三コース』折込で見た。三十五年ほど経って、実物を見ることができた。 畳ほどの大きさだった。欲しいと思った(だけ)。
 『日本美術全集 第19巻 戦後~一九九五 拡張する戦後美術』は、岡本太郎太陽の塔』1970年。実際に見たことはない。

 ネット、うろうろ。

《 カルトに家庭を壊された者の人生と、祖父の時代から権力のためカルトを利用してきた者の人生があの時交差した。愛する祖父さんに導かれて辿りついたのがあの場所だ。 と書くと「物語」だが、場当たり的な偶然の積み重ねが歴史なんだと思い至る 》 島田虎之介『ロボ・サピエンス前史』絶賛発売中!
https://twitter.com/Shimatorax/status/1545838470626623488