有限性(閑人亭日録)

 有限性という言葉が心を捉えた。限界、境界といった言葉に座りの悪さを感じていたが、それは外側からの見方。有限性とは内側からの言葉、と自分は考える。限界突破というよりも有限性を破る、突き抜ける、と言ったほうが私には馴染みやすい。去年の秋、縄文土器を間近に見てから自分の思考の有限性を痛感。と同時に、先達の美術作品の見方(認識)への違和感が、その人の有限性(その時代の思考の枠組み)にあるのでは、と考えるようになった。一般人の私にはあまりに大きな設問で、ただここではそんな感じを記すのみ。

 ネット、うろうろ。

《 それを語ろうとすれば消えてしまうものがある。古来、美とはなにか、エロスとは? タナトスとは? 生とは? そもそもヒトはなぜ芸術を認識できるのか? といった問いが繰り返されるゆえんである。量的認識とか類型化によって動いている世界に、質的なものがあらわれる。これが語り得ないもの。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1670726252930691072

《 質的なものの表れ、意味=記号的認知からの裂け目、剥き出しの生。そうしたものを「なにか?」と認識しようとすること。例えば「美とはなにか?」と把握しようとすること。これは質的なものを類型化に落とし込もうとすることである。類型化、意味化で掬いとれないそれは、指のすきまから零れていく。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1670726347252207625

《 つねに繰り返される誤謬の一つに、芸術作品は「技術 skill」なのか「意味内容 idea」なのかという設問がある。そんなコミュニケーションレベルの設問でなにかを作れば、記号操作にしかならず、そんな設問でしか作品が視れなければ、記号解釈にしかならない。「質的なもの aura」が宿らず、視えない。 》 中島 智
《 https://twitter.com/nakashima001/status/1671017092240519168

《 もう言い飽きるほど言ってきた。藝大がどうとか学歴がどうとか関係ない。「質的なもの」がわかるかわからんかだけだ。それは個々の問題、個別の問題である。 》 中島 智
https://twitter.com/nakashima001/status/1671023265048047616

《 山上容疑者の殺意が安倍元首相に向かった原因については、国会議員が旧統一教会のイベントに参加したり祝電を送ったりすることで、そのような団体に「お墨付き」を与え、入信の勧誘や信者への献金要請をやりやすくしている事実があることに加え、安倍氏が、統一教会のフロント組織である 》 島薗進
https://twitter.com/Shimazono/status/1670777256044802050