今井なつみ・秋田喜美『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』中公新書2023年6月20日3版を少し読んだ。
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2023/05/102756.html
オノマトペ(擬音語、擬態語、擬情語)には興味があるが、こんな本格的な研究には初めて出合った。
《 音は、発音の仕方だけで物事を写し取るわけではない。その音が物理的(音響的)にどういう音なのか、あるいは人にどのように聞こえるかも大事である。 》 「第2章 アイコン性──形式と意味の類似性」 28頁
《 このように、オノマトペとは聴覚を軸としながらも、ジェスチャーという視覚的媒体と対をなす、マルチモーダル(多手段的)なコミュニケーション手段である。このマルチモーダル性は、オノマトペを絵や絵文字よりもむしろ音声つきのアニメーションに近づける。 》 同 38頁
《 ハ行、パ行、バ行の三項対立はこうした歴史的変化の産物なのである。よって、「フラリ」「ブラリ」「プラリ」において、「フ」「ブ」「プ」の音が微妙なニュアンスの違いを生み、意味を対立させているのも、日本語特有の歴史の産物であり、決して世界共通ではないのだ。 》 同 44頁
《 音象徴、そしてオノマトペには、言語の差を越えて感知できるアイコン性と、各言語にチューニングされて、その言語の話者だからこそ強く感じられるアイコン性が共在するのである。 》 同 51頁
《 本章では、「オノマトペは言語として扱われる資格があるのか」という視点をつきつめていく。(引用者・略)
結論から言おう。オノマトペはいくつかの点で特殊でありながらも、あくまで言語であるし、一般語(オノマトペでないことば)との違いより共通性のほうが多い。 》 「第3章 オノマトペは言語か」 57頁
《 実際、 万国共通のオノマトペはただの一つも存在しない。 》 同 85頁
《 言語は身体とつながっているという考えにとって、言語的な特徴を多く持ちながら、言語でない要素もあわせもつというオノマトペの性質はうまく合致する。言語の身体性をどこまでも強調していくと、「言語のすべてが身体につながっているのか」という問いに行き着くそうだ。 》 同 90頁
路上観察学会(赤瀬川原平ほか)『路上観察 華の東海道五十三次』文春文庫1998年6月10日第1刷を開く。三島編を見る。白滝公園の「ゾウさん滑り台」96頁、「骨董屋」97頁、「ガレージの和の番号」98頁、「包丁研ぎにも色気?」101頁はすでに無い。「時に乗り遅れた自転車」98頁は健在。看板はそのまま、レストランとして使われている。
https://www.table-kudo.com/table-kudo.html
「濡山水」100-101頁は源兵衛川と三石神社。これは健在。去年の秋、同様の視点から描いた木版画(久田誠道)を見て、11月末の「三島ゆかりの作家展」開催を決めた。