松本勝貴氏から恵投された未刊歌集『花の影 風の韻』の感想とお礼を認めた手紙を郵送。氏から同時に恵投されたもうひとつの未刊歌物語集『木霊』を繙(ひもと)く。「あとがき」から。
《 これまで五冊の歌集を編み、千首の歌を創った。ずいぶん前からそれらの歌に詞書(ことばがき)を付け、歌物語のやうなものを作ってみたいと思つてゐた。詞書は単なる説明としての散文ではなく、それ自体が作品となるやうなものを理想とした。例へば万葉時代の長歌と反歌のやうなものである。 》
《 短歌といふ三十一文字に凝縮されたイメージをやはらかくほぐしながら、内包された世界に具体的背景を与へてゆく作業は楽しいものであった。(引用者・略)出来上がつたものは、歌物語と呼ぶには物語性に乏しいところもあるが、全体を通じて何か滲み出すものがあればそれを汲み取つていただきたい。 》
これが私にはなかなか面白い。塚本邦雄が試みていた気がする。一編を引用。
《 XXVI 思案香(シアンクレール)
たそがれの弱い光がいつまでも漂ふこの街を意味もなくさまよつてゐた。
間口の狭い小さな店がいくつも並ぶこの通りには、早くも赤や青のネオンサイ
ンが灯りはじめた。
すでに酩酊した私の目には、色とりどりのたくさんの灯が花火のやうに滲んで
見える。消えてはともるそれらの灯は、まるで命のやうに美しい。人はみなひ
とり寡黙に、こんなはかなげな命の灯をともし続けて生きてゐるのだ。
薄暗くさびれた路地の入口には「思案香」といふ赤い小さなネオンサインが瞬
いてゐた。その濡れたやうに赤い文字が妙に心に引つかかった。
「思案香」その小さな扉の向かうには、きつとこの世で思案に暮れた人たちが
吹き溜まつてゐるのだらう。そして、強い酒精に酔ひつぶれた男たちの色褪せ
た貧し気な夢を、翳のある女主人がそつと静かに眺めてゐるのかもしれない。
汝(な)が胸の香りに溺れゐたりけり思案香といふ酒場にて 》
昨日の『花の影 風の韻』といい、こういう原稿が本にならない不思議。