『死霊 八章《月光のなかで》』(閑人亭日録)

 昨日は時間観念を忘れてしまったようだ。なんか一日飛ばしてしまったような。夜更けまで読み耽っていたせいだろう。パソコンを起動するまではいいが、キーボードをう打つとき、ずいぶん打ち間違える。まったくう・・・。病み上がりでどうも感覚がおかしい。気を取り直して。埴谷雄高『死霊 八章《月光のなかで》』講談社 一九八六年一一月二〇日 第一刷発行を読む。

《 いったい「私」を失ったすべてのすべてが一変するとは、何が一変してしまうのでしょう……?
  ──時間と空間と存在のすべてです。 》 22頁

《 ──先程、すでに私は言いました。それこそは、無限大虚在であるところの虚体です。 》 22頁

《 しかし、「翳り」がほ本体より大きいごとく、本体より本体を示しあらわす言葉のほうが屢々より大きいという君のまさに「翳り」に充ちた薄暗い示唆は、このいま、この上もなく貴重といわねばならない。 》 34頁

《 すると、微かな、遠い、遠い、遠い耳鳴りが「神様」の頬に接している津田安寿子のなかに起った。それは、遠くから僅かずつ近づいてくる透明な銀色の低い響きのようにも思われたそれは、こちらへ決して停ることなくのっぴきならず進行してくる何かだった。 》 56頁

 うーん、不思議な暗合だ。入院初日から一日中、耳鳴りがしていた。初めての経験。一生付き合うのかとガックリした。が、退院帰宅して気づいた。耳鳴りがしない。今も。
 埴谷雄高『死霊 八章《月光のなかで》』講談社、読了。文字通り月光のなかでの夢幻劇だ。