『現代の美術 art now1先駆者たち』五(閑人亭日録)

 『現代の美術 art now1先駆者たち』、中原佑介「4 自然からの訣別」。

《 というより、第二次大戦後にみられる現代美術の動向が、立体派のもつそうした先駆的意義を改めて発見させたのである。1961年、ニューヨーク近代美術館で開かれた「アセンブリッジ展」は、(引用者・略)アセンブリッジの先駆としてクローズ・アップされたのが立体派の「パピエ・コレ」であった。また、ポップ・アートもその先駆的仕事を、身の回りの日常的物体に注目した立体派にみることができる。立体派の画家がひとつの対象を多視点からとらえて描くことにより、20世紀美術の新しい視覚を切りひらいたというのは、いわばこれまでの通念であったが、戦後になって立体派の開拓したものがもっと深く、しかも大きいものであったことが知られるようになったのである。 》82頁

《 自然から訣別した立体派の画家たちは、「室内」に関心を注いだ。しかし、その「室内」は19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを席巻したアール・ヌーヴォーの家具や調度品で飾られた「幻想の自然」としての小宇宙ではなかった。(引用者・略)それらは個々ばらばらであり、それらの知覚も部分的、断片的とならざるを得ない。立体派にみられる対象の多面的な展開、新聞紙や布切れをじっさいに貼りつけるパピエ・コレの方法は、そうした断片的知覚を寄せ集めてより総体的知覚をもたらそうとしてうみだされたものである。 》82頁

《 そして、室内から街頭に溢れでた工業製品が取り上げられるのは、その後にうまれたダダによってである。こうして戦後美術の原型はすべて用意されたのである。 》82頁

《 1989年のパリ万国博の際に建てられたエッフェル塔は、新しい時代の象徴として眺められた。(引用者・略)フランスのロベール・ドローネーはいち早くこのエッフェル塔を、そしてその上空を飛ぶ飛行機を描いた画家である。(引用者・略)しかし、注目すべき点は、エッフェル塔や飛行機が主題として選ばれると同時に、その表現形式にも変化が生じたことである。そこには、あの自然の風景画にみられたような空間的ロマンティシズムが姿を消し、それに替って時間的ロマンティシズムともいうべきものの出現しているのが大きな特徴である。(引用者・略)都市とはつまりひたすら輝かしい未来として受けとられたからである。 》86頁

《 都市に対する熱狂といえば、イタリアにうまれた未来派ほど徹底した動向はあるまい。(引用者・略)スピード感覚とダイナミズムが彼らの旗印だった。 》88頁

《 光線のダイナミズム──ここにも時間的ロマンティシズムのあらわれがある。 》88頁

《 機械が美術に及ぼした影響は、戦前のみならず戦後にもわたる、20世紀美術の大きなテーマのひとつといっていいだろう。 》90頁

《 今世紀にみられる美術と機械の交流といえば、やはり「都市の美術」の先駆である、立体派、未来派、それに光線主義などに始まる。そして特徴的なことは、これら第一次大戦前の諸動向にみられる機械の影響が、主として機械の外形によっているということであろう。未来派における自動車や機関車、あるいは光線主義にみられる歯車やベルトや電光は、いずれも反自然的な新しい光景としての機械にほかならない。 》90頁

《 しかし、冷たいメカニズムということではデュシャン=ヴィヨンが先をいったのである。こうした外形としての機械から非人間的なメカニズムとしての機械への関心の移行が、機械の影響の次の段階を特徴づける。マルセル・デュシャンとフランシス・ピカビアがそれを推し進めたのである。 》90頁
 (注)レイモン・デュシャン=ヴィヨンは、マルセル・デュシャンの兄。

 

《 立体派や未来派のパピエ・コレあるいはコラージュに示された現実の物体の導入は、ダダの「レディ・メイド」に及んで絵画から完全に解放され、物体そのものが独立してとりあげられるに至った。これらの物体はもはやどのような再現的意味も持たず、それそのものが注目されるようになったのである。自然から訣別した美術は、こうしてこれまでかつてなかった作品概念をうみだすことになった。つまり、「レディ・メイド」はこれまでの美学から見れば到底容認することのできない性質のものだった。(引用者・略)こうして、ダダは物体に対する見方を変え、つまりは生活環境を新しい眼で見る方法を提出したのである。 》101頁