『アートの力』再読・三(閑人亭日録)

 マルクス・ガブリエル『アートの力──美的実在論』堀之内出版2023年4月28日 第一刷発行を少し再読。
 「自律性、ラディカルな自律性、オリジナリティ」を読んだ。

《 アートを構成されたもの(コンポジション)として捉えることは、アートの自律性に正しいやり方で気付くためのヒントになる。自律性とはもちろん、物や人がそれ自身の法則によって支配されていること、自身を構成する法則以外の何ものにも従属しないということだ。 》95-96頁

《 人間的な自律性とは逆に、アートの自律性は、作品同士の深くラディカルな差異を際立たせる。あるアート作品の構成(コンポジション)は、別の作品のそれと異なる。どんなアート作品にも共通に備わる内容など存在しない。》99頁

《 アート作品は普遍的な法則の支配のもとでは存在しえない。(引用者・略)美の普遍的な基準はない。アート作品それぞれが、自分で自分に課す基準があるだけだ。 》101頁

《 つまり、ある作品を個別化する原理(その構成(コンポジション))は、他の作品を個別化する原理と何ら共通する本質をもたない、ということだ。 》101頁

《 ある作品においてさまざまな意味の場がつなぎ合わされるそのやり方(つまり、その作品の意味)はひとつに構成されており、その作品の内部からしか理解できない。作品は自分で自分に固有の法則を与えるのだ。 》102頁

《 アートのラディカルな自律性は、厳密な意味でのジャンルの可能性を否定している。 》106頁

《 アートであれば何でもよいアートになるわけではない。 》109頁

《 デュシャンは便器をアート作品に変えたわけではない。作品をなすのは、便器を展示するというアイデアである(引用者・略)。 》111頁

《 アート作品が完成されるのは、私たちがその作品の解釈をやめたときだけである。(引用者・略)アートの理解がアートの終わりなのである。 》 112頁

《 アート作品の質は、その作品の内側から放たれる。どんなカタログを見ようと、どれほど普及した説明体系を使おうと、ある展示品が他の展示品よりアートとして優れていることを演繹的に証明することはできないのだ。 》113-114頁

《 ところが、ラディカルに自律するアート作品の性質は、〔感覚能力が捉える〕対象より広い意味での対象に変化させる。(引用者・略)すべての対象が、自然科学で研究される因果性の原理に支配されているわけではない。 》125頁

 うーん、わかったようで、もやもや。もどかしい。