野間宏「全体小説と想像力」河出書房1969年から。
「私は時代と社会の全体をとらえ、その全体のただなかに人物(人間)の全体を置くことを、作家として何より重要と考えているわけである。そしてそれが私が全体小説を言い、長編小説をすすめている中心におかれている理由といってよい。」「長編の時代」より179頁
「私は創造の桶のなかには大きな炎塊と氷塊とがはいっていることを、先ず明かにしたいと思う。そこにはあらゆるものを熱をもって融かし、その形と内容を変える炎塊と、同じようにあらゆるものを負の熱をもって結晶させ、その形と内容を変えてしまう氷塊とがはいっているのである。」「創造の問題」より189頁
「創造者になろうとするものは、この大きな炎塊と氷塊を砕いたもののはいった桶のなかに口をつっこみ、それを飲みつづけて、この二つのものに酔って、この二つのものを自分のものとして、この二つのものの持つ激烈な作用を自分の持つ力たらしめるのである。」同
「創造しようとする者は、何よりも先ず、このような狂乱のなかに身をゆだねることがなければ、何ものも創造することなど出来ないのである。」同
「創造する者である作家はいまだ誰も見たことのない未知のものを見、いまだ誰も聞いたことのない未知の音をきき、これを表現しなければならないわけであるが、」同199頁
「もちろんそこには、現代の中心的な危機にせまって現代を越えようとする、時代の矛盾を追及して分析し、綜合する作業と、あくまで芸術造型そのものをすすめてそこに新しい美をつきり出そうとする造型作業というこの二つの相反するものを、一つの作品そのもののうちに統一するという現代の創造の前に現われるもっとも重要な問題が存在するのである。現代の芸術はその創造をすすめるなかで、当然このような解きがたい問題を問わなければならない。」同200頁
なんだか、北一明氏の創造の軌跡を読んでいる錯覚に陥る。北一明氏は、ここで言われていることを実践し、焼きものに新しい美を創造した。味戸ケイコさんは本格デビューから三十五年が過ぎて、美術評論家・椹木野衣(さわらぎ・のい)氏から現代美術としての評価を得た。北一明氏は、築窯三十五年を経ても、陶芸界からは無視黙殺されている。評価すべき時だと思うが。