危ない象!!

 昨日、25日の藤富保男関連で探していた同人誌「吟遊星」第五号「藤富保男特別号」1978年刊行がやっと見つかった。それも自宅ではなく、美術館の事務室で。なあんだ、きょうは昨日ようにお茶を濁すことはなくなった。やれやれ。

 「危ない象!!」は、この特別号に採録された1962年のエッセイの題。冒頭。

《玄関をたたく者がいる。ひらいてみると大きな灰色の壁である。すなわち一匹の象であった。象のような男ではない。象そのものがいるのである。/まあ上って休みたまえ》

 特別号掲載新作の詩は「都」。副題が「一連の」。冒頭。

 《垣根に落ちた柿と柿と柿を
  眺めて渋く四角に欠伸すれば
  うしろの山は一面の霞》

  詩の最後の部分。

 《さわらぬ
  紙に只ありがたい か
  と 一と二をたして三目散に逃げ出し
  毛
  一本光り》

 と、なにやら判じ物の気配。はい判じ物です。彼の作ったパロディ和歌

《都をば霞とともにいでしかど わらうえんまに こしぬかし毛り》

 の一字一字を、詩行の末尾にはめ込んだもの。題はそのまま「都」に。第一行の末尾「を」は和歌の「を」に、二行目の「ば」→「ば」、三行目「霞」→「霞」に対応。飛んで「ぬ」→「ぬ」、「か」→「か」、「し」→「し」、「毛」→「毛」そして「り」→「り」。「わらうえんま(笑う閻魔)」とは、栃木県益子にある西明寺の「笑う閻魔大王」のこと。

  この特別号に寄せた人たちのエッセイの題。「コックリ型の詩人」加藤郁乎、「幻想高低 またの名 藤富保男をたたえる」堀場清子、「嘘つきが好きよ もしくは まわりくどい恋ぶみ」丸山由木子、「孤独な徘徊師」多田智満子、「言葉の河童── 藤富ガー太郎観察ノート」幸村真佐男、「そら飛ぶ円満論」高橋昭八郎などなど。

《詩はいつも自由に檻からとび出そうとしている。それをおさえることは、詩を感覚する人にもできない。》

 藤富保男のこの言葉、美術にもいえることだ。

 23日に案内した広島県三次市の方からお礼のメール。一部転載。

 《この度は,急なお願いにもかかわりませず,ご対応いただき誠にありがとうございました。

 越沼さまには,これまでの経緯やそれぞれの場所にまつわる今昔のエピソードなど,実に適切なガイドをしていただき,重ねてお礼申し上げます。
 個々の活動をまとめあげ,NPO法人化されるまでのご苦労を拝察しつつ,そのご苦労を感じさせず,本当に源兵衛川をはじめとする川や三島市を愛しておられる皆様の姿勢に頭が下がる重いがいたしましました。

 市民の活動に企業をとりこみ,無理のない範囲でパートナーとしての役割を担っていただく行政は過干渉せず,対等なパートナーとして,活動の自由と責任を分担していくという本来の協働の形,これからのまちづくりについて,大きな示唆を頂きました。
 と同時に,私どもにできるかしら・・・という不安もいっぱいでございますが・・・何らかの形につなげていきたいと思っております。》