日差しも弱く寒い一日。

 紫は、好きというより、近寄り難くて惹かれる色だ。丸山(美輪)明宏『紫の履歴書』のように。

《 西洋でも日本でも、この色が貴位を表す伝統は根強い。その何よりの理由は、原料や技術の上から紫の発色が困難であったところにああるのだろう。したがって、一八五六年にパーキンが人工染料の紫を発明したことは、この色の歴史における最大の出来事といってよいだろう。 》

《 明治時代の錦絵には描かれた人物であたっていくと、八割以上が服飾の一部に紫を使っているという報告もある。紫は文明開化の明治を象徴する新しい色であった。 》『色の彩時記』朝日新聞社1983年、近江源太郎「色のイメージと意味」

 『明治文学全集』筑摩書房、月報99に高階秀爾「明治の色」がある。

《 明治の末年から大正にかけての時期が、赤と朱に陶酔した時代であったとすれば、その前の明治三十年代は、紫と青の時代だったと言えるであろう。 》

《 明治四十年、この紫の最後を飾るのにふさわしく、東京勧業博覧会で、「紫派」の一人岡田三郎助の「紫の調(しらべ)」が一等賞を得た。 》

《 しかも岡田三郎助は、その後同じ年の第一回文展に「紅衣夫人」を出品している。 》

 紫と菖蒲(あやめ)関連で口ずさむ短歌。

   少女らに雨の水門閉ざされてかさ増すみづに菖蒲溺るる   松平修文

 ネットの見聞。

《 争うのが人間の本能。仲良くするのが人間の知恵。  》

《 浅いか深いかを判断できるなら専門家。それができないのが門外漢。 》